アニメーションダンスの歴史|マイケルの創造性を刺激したダンスのルーツ
マイケル・ジャクソンが「ムーンウォーク」と共にもっとも重要なダンスと位置づけ、ここぞという見せ場の武器としていたダンスがあります。
それが「アニメーションダンス」です。
アニメーションダンスとは、簡単に説明すると、ロボットのような動きを取り入れたダンスのことで、1980年代前期よりウエストコースト(西海岸)のストリートダンサーから広まっていったスタイルです。
1984年公開の映画「ブレイクダンス」(Breakin’)によって世界中のストリートダンサーへと広まり、その後マイケル・ジャクソンが1980年代から90年代にかけて開催したバッドツアー(1987年)、デンジャラスツアー(1992年)、ヒストリーツアー(1996年)3つのワールドツアー(※1)で披露したことによって一般の人々の目にも触れるようになりました。
「ムーンウォーク」の知名度の方が高いため、いまでも一般的には広く知られてはいませんが、マイケル・ジャクソンのアニメーションダンスは1987年のバッドツアーのHuman Natureではじめて登場し、その後1992年のデンジャラスツアー、1996年のヒストリーツアーと公演を重ねていくごとにBillie JeanやStranger In Moscowなどで顕著に表現されるようになっていきました。
このようにマイケル・ジャクソンが「ムーンウォーク」と共にもっとも重要なダンスと位置づけ披露していたアニメーションダンスは、当時10代だった2人のレジェンドによって創られました。
その2人のレジェンドとは、ブガルー・シュリンプ(Boogaloo Shrinmp)とポッピン・タコ(Pop N Taco)です。
そこでシリーズ第2回目の今回は「アニメーションダンスの歴史」にスポットを当て、マイケル・ジャクソンの創造性を刺激したアニメーションダンスの歴史とルーツについて詳しく解説していきたいと思います。
※1:バッドツアー(1987年)、デンジャラスツアー(1992年)、ヒストリーツアー(1996年)。
エレクトリックブガルーズの影響
1970年代前期から1980年代中期にかけて起きたダンスブームは、振り返ると、のちにストリートダンスの「いしずえ」となる新しいジャンルが次々と誕生した時期でもあります。
アニメーションダンスのルーツと関係の深い「ポッピング」もその一つです。
それではこの「ポッピング」がストリートダンスのジャンルの一つとなり得たのはなぜなのでしょうか。
それは「あるダンスクルー」の独創的なダンススタイルの影響が全米へ広がっていったことによって、のちに1984年公開の映画「ブレイクダンス」(Breakin’)へとつながる一大ムーブメントを巻き起こして発展したからです。
その「あるダンスクルー」とは、「ポッピング」と「ブガルー」の2大ダンススタイルを世に送り出した「エレクトリックブガルーズ」(Electric Boogaloos)(※2)です。
エレクトリックブガルーズの独創的なダンススタイルが本拠地のカリフォルニア州ロングビーチから全米へ広がっていった背景には、当時全米で最先端のストリートダンスを発信していた音楽番組「ソウルトレイン」へ1979年11月に出演したことがあげられます(※3)。
その後エレクトリックブガルーズは1980年4月にソウルトレインへ2回目の出演を果たしますが、ブガルー・サムの意向により一度解散します。
しかしながらグループは解散しても、ソウルトレインへの出演による反響は止まらず、エレクトリックブガルーズのダンススタイルはその影響を受けた多くのストリートダンサーによって全米へ広がっていきました。
ウエストコースト(西海岸)では、のちにアニメーションダンスへと発展していくこととなる新しい「立ち技」のスタイルが次々と開発され、また、ブレイキングを重視したフロアムーブ中心のイーストコースト(東海岸)でも、エレクトリックブガルーズのダンススタイルやウエストコーストで開発された新しい立ち技のスタイルの影響を受けたダンスを表現する「エレクトリックブギー」(Electric Boogie)(※4)というスタイルが登場しました。
※2:ブガルー・サム(Boogaloo Sam)(※5)によって1977年に結成された伝説的ダンスクルー。曲のビートに反応してポーズを形成した直後に身体の各部位を同時に弾いて表現する「ポッピング」(Popping)と、腰・ひざ・頭などの身体のあらゆる部分のロールを自在に使いこなすことによって流動的に表現する「ブガルー」(Boogaloo)の2大ダンススタイルを世に送り出した。なお、結成時の1977年は、エレクトリックブガルーロッカーズ(Electric Boogaloo Lockers)の名称でカリフォルニア州フレズノを本拠地としていたが、1978年にカリフォルニア州ロングビーチへ移転後「エレクトリックブガルーズ」へと改名した。
※3:エレクトリックブガルーズは1979年11月24日の放送と1980年4月19日の放送で「エレクトリックブガルー」(Electric Boogaloo)のグループ名としてソウルトレインへ出演。出演メンバーはブガルー・サム、ポッピン・ピート(Popin’ Pete)、ロボット・ダン(Robot Dane)、パペット・ブーザー(Puppet Boozer)、クリーピン・シッド(Creepin Sid)の5人。なお、初出演時の衣装はブラックとシルバー、2回目の出演ではカラフルな衣装を着用してパフォーマンスした(※参照:YouTube)。
※4:代表的なパフォーマンスは、1984年公開の映画「ビート・ストリート」(Beat Street)にも出演しているニューヨークシティブレイカーズ(New York City Breakers)のミスターウェーブ(Mr. Wave)の立ち技のパフォーマンス(※参照:YouTube)。
※5:エレクトリックブガルーズのリーダー。曲のビートに反応してポーズを形成した直後に身体の各部位を同時に弾いて表現する「ポッピング」と、腰・ひざ・頭などの身体のあらゆる部分のロールを自在に使いこなすことによって流動的に表現する「ブガルー」を創り出したオリジネーター(考案者)。マイケル・ジャクソンの作品にはショートフィルム「ゴースト」に出演した。
新しいスタイル
のちにアニメーションダンスへと発展していくこととなる、ウエストコーストで開発された新しい「立ち技」のおもなスタイルは次の3つです。
01. スネーキング (Snaking)
02. キングタット (King Tut)
03. ウェーブ (Waving)
01. スネーキング
スネーキング(Snaking)は、エレクトリックブガルーズのメンバーだったミステリアスポッパーズ(Mysterious Poppers)のリーダーのダリル・ジョンソン(Darold Johnson:ダンサーネーム「KING COBRA」)が1979年に創り出したスタイルです。
このスタイルはブガルー・サムの表現する「胸を大きくロールするアイソレーション」からインスピレーションを受けて創り出されました。
時計回り、あるいは反時計回りに胸を大きくロールするアイソレーションの動きを基本とし、身体全体をロールしながら回転したり、身体のラインをS字状に形作ることによって表現します。
02. キングタット
キングタット(King Tut)は、カリフォルニア州北部のオークランドのストリートダンサーが1980年後期に創り出したスタイルです。
別名「タッティング」(Tutting)、あるいは「エジプシャン」(Egyptian)とも呼ばれています。
このスタイルはカートゥーンアニメーションのルーニー・テューンズに登場するうさぎのキャラクターのバッグス・バニー(Bugs Bunny)の動きにインスピレーションを受けて創り出されました。
エジプトの古代遺跡の壁画に描かれている2次元の絵の人物のポーズのように、手のひらを床と水平にして手首とひじの関節を直角に保ちながらポーズを形成したり、手を組み合わせてボックスを形成することによって表現します。
現在は手を組み合わせて水平・垂直・奥行の関係性を保ちながらその「軌跡」を形成していくことによって「より立体的」な表現へと発展しています。
03. ウェーブ
ウェーブ(Waving)は、カリフォルニア州北部のサンフランシスコ・ベイエリア周辺のストリートダンサーが1982年に創り出したスタイルです。
このスタイルは波の動きにインスピレーションを受けて創り出されました。
このスタイルが開発される前の1976年に、エレクトリックブガルーロッカーズ(Electric Boogaloo Lockers)(※6)のタイダルウェーブ・スキート(Tidal Wave Skeet)(※7)がボディーウェーブの「タイダルウェーブ」(津波)を開発していますが、その6年後の1982年にサンフランシスコ・ベイエリア周辺のストリートダンサーが「指先からはじまるハンドウェーブ」を創り出したことによって、全身に波がうねるように表現する「ウェーブ」へと発展しました。
ここで1点留意しておきたいことは、「ウェーブはブガルー(Boogaloo)とはまったく別物のスタイルであること」です。
なぜならブガルーが「腰・ひざ・頭などの身体のあらゆる部分のロールを自在に使いこなすことによって流動的に表現するスタイル」であるのに対し、ウェーブは「身体の各部位を自在にコントロールすることによって全身に波がうねるように表現するスタイル」であるからです。
※6:エレクトリックブガルーズの前身のグループ名。
※7:トイマン・スキート(Toyman Skeet)と同一人物。「タイダルウェーブ・スキート」のダンサーネームを経て、のちに「トイマン・スキート」へと改名した。
アニメーションダンスの開花
このようにウエストコーストで新しい「立ち技」のスタイルが次々と開発され、ウエストコーストのストリートダンスシーンがますます過熱していくさなか、エレクトリックブガルーズを輩出したロングビーチ周辺では独自の解釈でダンスを研究していた2人のストリートダンサーがいました。
その2人のストリートダンサーが、ロングビーチのすぐとなりのウィルミントン出身のブガルー・シュリンプと、ロングビーチに近いロサンゼルス出身のポッピン・タコです。
ブガルー・シュリンプ
ブガルー・シュリンプは1983年から1991年までマイケル・ジャクソンのソロパートのアドバイザー(パーソナルポッピングインストラクター)として、1984年のジャクソンズヴィクトリーツアー以降のBillie Jean終盤の間奏部分のダンスパートをはじめ、ムーンウォーク(バックスライド)を含む一連のパフォーマンスを完成度の高いレベルまで引き上げる仕事にたずさわったレジェンドです。
ブガルー・シュリンプが自身の表現のインスピレーションの源として幼少期からおもに研究していたのは「ロボット」でした。
ロボットダンスは、当時全米で最先端のストリートダンスを発信していた音楽番組「ソウルトレイン」で1970年代初頭にロボットを踊るストリートダンサーが登場しはじめたことがきっかけとなり広まっていったダンスです。
1973年の同番組でジャクソン5のヴォーカルだったマイケル・ジャクソンが新曲「Dancing Machine」の間奏部分でロボットダンスを披露したことによって、全米の若い世代がロボットダンスをやりはじめるようになったことから本格的に広まりました(※参照:YouTube)。
ロボットダンスが全盛期を迎えていた1970年代後期の「ロボットダンスの表現」は、各部位の可動範囲をおもに①左右(X軸)、②上下(Y軸)、③前後(Z軸)、④(各軸の)回転の4つに制限し、「1モーションにつき1部位」の機械的動作を基本原則とするのが当時のトレンドとなっていた時代でした。
これに対し、「可動範囲の制限を解放したロボットの動き」の要素と、カートゥーンアニメーションの「パラパラ漫画を細かく滑らかに映し出した動き」の要素を組み合わせることによって表現される「流れるように動くロボット」を追求していたのがブガルー・シュリンプでした。
この「流れるように動くロボット」の表現が「リキッドアニメーションスタイル」です。
そしてこのリキッドアニメーションスタイルの表現を自身のダンスの構成の随所に散りばめ、ルーニー・テューンズ(Looney Tunes)、トムとジェリー(Tom & Jerry)、ポパイ(Popeye)などに代表されるカートゥーンアニメーションの「コミカルな動き」や、秒間のコマ数を少なくしたカートゥーンアニメーションの動きからインスピレーションを受けて創られたパラパラ漫画のような表現の「ティッキング」などを組み合わせることによって独自のスタイルを創り出していました。
ポッピン・タコ
一方、ポッピン・タコは1983年から1997年までマイケル・ジャクソンのパーソナルダンストレーナー(クリエイティブコンサルタント)として、ポッピングとアニメーションスタイルのすべてをマイケルに伝授したレジェンドです。
マイケル・ジャクソンの作品にはディズニーアトラクション体感型3D映画「キャプテンEO」(1986年)、映画「ムーンウォーカー」のSmooth Criminal(1988年)、ショートフィルム「ゴースト」(1996年)などに出演しています。
1970年代後期の頃のポッピン・タコは、ミステリアスポッパーズに所属しており、「KING SNAKE」のダンサーネームで、胸を大きくロールするアイソレーションの動きによって表現する「スネーキング」を得意とするストリートダンサーでしたが、1980年代初頭にエレクトリックブガルーズのポッピン・ピート(Popin’ Pete)(※8)直伝による「ポッピング」のオリジナルスタイルを体得します。
そしてブガルー・シュリンプと出会う1983年には、自身の表現の武器の一つである、身体の各部位を自在にコントロールすることによって全身に波がうねるように表現するスタイルの「ウェーブ」へポッピングの「表現の要素」を取り入れた独自のスタイルの「ポッピンウェーブ」を創り出すところまで進化していました。
※8:1979年にエレクトリックブガルーズが当時全米で最先端のストリートダンスを発信していた音楽番組「ソウルトレイン」へ出演した時の5人のレジェンドメンバーの一人。1984年公開の映画「ブレイクダンス」(Breakin’)ではポッピン・タコとタッグを組んだ存在感あるパフォーマンスを披露。マイケル・ジャクソンの作品にはショートフィルム「Beat It」(1983年)、ディズニーアトラクション体感型3D映画「キャプテンEO」(1986年)、ショートフィルム「ゴースト」(1996年)などに出演した。なお、ポッピン・タコとはキャプテンEOの終盤でマイケルの後列でパフォーマンスする2体のロボット役でも共演している(※参照:YouTube)。
2人の出会い
このように別々のアプローチからダンスを学び独自の表現を追求していた2人は、1983年にライオネル・リッチー(Lionel Richie)のバックアップダンサーの仕事を通じて出会います。
ブガルー・シュリンプが16歳、ポッピン・タコが19歳の時でした。
すぐに意気投合した2人は、ブガルー・シュリンプがポッピン・タコの「鋭さの中に重さのあるハードなポッピング」と「ウェーブへポッピングの要素を取り入れたスタイル」を、ポッピン・タコがブガルー・シュリンプの「パラパラ漫画のような表現のティッキング」と「流れるように動くロボットのリキッドアニメーションスタイル」を双方で補完することによって、それぞれが「より独創的な表現」へとアップデートします。
そして2人は、同年公開されたライオネル・リッチーのミュージックビデオ「All Night Long (All Night)」に出演し、その独創的パフォーマンスはライオネル・リッチーと親交のあったマイケル・ジャクソンの目にとまることとなります。
マイケルとの出会い
当時のマイケル・ジャクソン(25歳)は、モータウン25(※9)でムーンウォーク(バックスライド)を披露したことによって「ムーンウォークのマイケル」として注目を集めていた頃のマイケルであり、同年12月に、のちに世界中で話題となるショートフィルム「スリラー」の公開をひかえ、また、翌年のジャクソンズヴィクトリーツアーに向けて次のパフォーマンスの構想を練っていた頃のマイケルでした。
そのような時にライオネル・リッチーのミュージックビデオ「All Night Long (All Night)」を見たマイケル・ジャクソンは、2人の独創的なパフォーマンスに興味を示し、2人を家へ招待します。
このことがきっかけとなり、ブガルー・シュリンプは「パーソナルポッピングインストラクター」の肩書きでマイケル・ジャクソンのソロパートのアドバイザーとして、ポッピン・タコは「クリエイティブコンサルタント」の肩書きでマイケルのパーソナルダンストレーナーとしてマイケルの仕事にたずさわっていくこととなるのでした。
※9:マイケル・ジャクソンがジャクソン5時代に所属していたレコードレーベル「モータウン」の設立25周年を記念して開催された音楽の祭典。そのハイライトは1983年5月16日に全米でTV放送された。祭典の正式名称は「Motown25:Yesterday, Today, Forever」(モータウン25:昨日、今日、そして永遠に)。この祭典がマイケルにとってムーンウォーク(バックスライド)初披露の場となった。
映画「ブレイクダンス」
ライオネル・リッチーのミュージックビデオ「All Night Long (All Night)」に出演した翌年の1984年5月、ブガルー・シュリンプとポッピン・タコは、ストリートダンスにアニメーションの要素を取り入れた、これまで誰も見たことのない、まったく新しいダンスを披露したことによって、のちに世界中のストリートダンサーが彼らの影響を受けることとなる1本の映画に出演します。
それが映画「ブレイクダンス」です。
アニメーションダンスがストリートダンサーの間で知られるようになったのは、映画「ブレイクダンス」の中で、ブガルー・シュリンプがほうきを使ったソロパフォーマンスをするシーンがきっかけでした。
クラフトワーク(Kraftwerk)のTour de Franceの曲に乗せて、ほうきを左右に振りながら掃除をするしぐさをモチーフに、「可動範囲の制限を解放したロボットの動き」の要素と、カートゥーンアニメーションの「パラパラ漫画を細かく滑らかに映し出した動き」の要素を組み合わせることによって表現される「流れるように動くロボット」、すなわち「リキッドアニメーションスタイル」を披露したことによって、アニメーションダンスが世界中へと広まっていくこととなります。
映画「ブレイクダンス」の特徴
全米で映画「ブレイクダンス」が公開された1984年5月前後は、「ワイルド・スタイル」(1983年3月)、「フラッシュダンス」(1983年7月)、「ビート・ストリート」(1984年6月)など、当時のストリートダンサーがこぞって影響を受けた映画が立て続けに制作された時期でもあります。
そのような中、映画「ブレイクダンス」はこれらの映画とは「明らかに異なる点」がありました。
それは、描かれたロケーションがウエストコーストだった、という点です。
当時のウエストコーストのストリートダンスシーンは、イーストコーストがブレイキング(Breaking)を重視したフロアムーブ中心だったのに対し、ウエストコーストではポッピングやロッキング(Locking)などの「立ち技」を重視していたのが特徴的でした。
また、この映画「ブレイクダンス」に出演した主要キャストを見ても、ロッキングの宗家家元であるロッカーズからシャバ・ドゥ(Shabba Doo)、ポッピングの宗家家元であるエレクトリックブガルーズからポッピン・ピート、そして前述のブガルー・シュリンプ、ポッピン・タコと、おもに「立ち技」を得意とするダンサーが起用されていることからもわかります。
なお、映画「ブレイクダンス」公開の前年の1983年9月には、映画「Breakin’ ‘N’ Enterin’」が制作されました。
この映画は一大ムーブメントとなっていたウエストコーストのストリートダンスシーンに焦点を当てたドキュメンタリー映画で、この映画がきっかけとなって映画「ブレイクダンス」が制作されることとなりました(※参照:YouTube)。
独創的パフォーマンス
映画「ブレイクダンス」では、ブガルー・シュリンプとポッピン・タコがお互いの表現スタイルの要素を補完することによって、それぞれが独創的な表現へと進化を遂げたパフォーマンスの一端を垣間見ることができます。
それがブガルー・シュリンプの「ほうきを使ったソロパフォーマンス」シーンと、ポッピン・タコの「ヴェニスビーチの登場」シーンです。
ブガルー・シュリンプ
「ほうきを使ったソロパフォーマンス」シーンでブガルー・シュリンプは、ほうきを左右に振りながら掃除をするしぐさをモチーフとしたリキッドアニメーションスタイルのあとにサイドフロート(※10)からバックスライドへ展開したあと、クラフトワークのTour de Franceの激しく流れるリズムの部分で「身体をゆさぶるような激しいボディーウェーブ」をおこないます。
この「身体をゆさぶるような激しいボディーウェーブの表現」の部分がポッピン・タコの表現スタイルの要素を補完した「ポッピンウェーブ」です。
このボディーウェーブの表現をアニメーションダンスと見間違う人もいるかもしれませんが、この表現はアニメーションダンスではなく、ウェーブへポッピングの要素を取り入れた「ポッピンウェーブ」です。
※10:ブガルー・シュリンプバージョンのサイドウォーク。床から浮いているかのように横方向へ移動していく様子を表現。
ポッピン・タコ
「ヴェニスビーチの登場」シーンでポッピン・タコは、シャバ・ドゥに対しハンドからボディーにかけてのポッピンウェーブ、コブラ、手を添えながらウェーブをおこなう「タッチウェーブ」にポッピンウェーブの要素を取り入れた「ポッピンタッチウェーブ」で挑発しますが、この最後の部分で「投球ポーズをモチーフとした、小刻みに分割するモーションの表現」をおこないます。
この「投球ポーズをモチーフとした、小刻みに分割するモーションの表現」の部分が、ブガルー・シュリンプの表現スタイルの要素を補完したアニメーションダンスです。
しかしよく見ると、ポッピン・タコのアニメーションダンスは確かにアニメーションダンスの要素を取り入れてはいるものの、ブガルー・シュリンプの「流れるように動くロボット」のリキッドアニメーションスタイルとは異質なスタイルであることがわかります。
それは、ポッピン・タコがブガルー・シュリンプからリキッドアニメーションスタイルの要素を補完する一方で、もう一つのアニメーションダンスの表現として、滑らかさの中に細かくカクカクした独特な動きに特徴がある「ストップモーションアニメーション」を独自に研究し、自身の表現として取り入れたからです。
この「滑らかさの中に細かくカクカクした独特な動き」の表現が「ストップモーションアニメーションスタイル」です。
もう一つのアニメーションダンス
「ストップモーションアニメーション」とは、内部に骨格を持つ可動式ミニチュア人形の動くさまを1コマずつ変化させて撮影することによって、再生するとその人形がまるで生きているかのような動きを表現することができる、特撮技術を駆使した実写アニメーションのことです。
人間の手で1コマ1コマ人形を変形させて撮影するという手法のため必然と「ぶれ」が生じますが、その「ぶれ」が、再生した際にその人形独特の「よい持ち味」となり、滑らかさの中に細かくカクカクした独特な動きの視覚効果を生み出しています。
ポッピン・タコが着目していたのはこの「ストップモーションアニメーションの動き」で、とりわけレイ・ハリーハウゼン(Ray Harryhausen)(※11)の創り出すクリーチャーの動きでした。
中でも1958年公開の映画「シンバッド7回目の航海」(The 7th Voyage of Sinbad)に登場するサイクロプス(一つ目巨人)(Cyclops)がポッピン・タコの代表的表現の一つとなっています。
特筆すべきは、ポッピン・タコの前の世代にもレイ・ハリーハウゼンの創り出すクリーチャーにインスピレーションを受けて表現するストリートダンサーがいましたが、前の世代がクリーチャーの「生き物のような動き」に着目していたのに対し、ポッピン・タコはストップモーションアニメーション独特の「細かい動き」に着目していたことです。
こうしてポッピン・タコは、レイ・ハリーハウゼンの「クリーチャー」の要素と、「ストップモーションアニメーションの動き」の要素を組み合わせることによって、「滑らかさの中に細かくカクカクした独特な動き」、すなわち「ストップモーションアニメーションスタイル」を創り出します。
※11:ストップモーションアニメーションを取り入れた数々の特撮映画を生み出したレジェンド。
次回について
以上がマイケル・ジャクソンの創造性を刺激したアニメーションダンスの歴史とルーツについての解説でした。
本解説でも便宜上、アニメーションダンスとアニメーションスタイルをひとまとめにして「アニメーションダンス」と表記することがありますが、クリエイティブの観点からすると、アニメーションダンスとアニメーションスタイルは分けて理解しておく必要があります。
なぜならアニメーションダンスとアニメーションスタイルには、それぞれ表現する内容に違いがあるからです。
アニメーションダンスとアニメーションスタイルの違いとは、簡単に説明すると、ダンスのジャンルの「アニメーション」と「ポッピング」の違いのことです。
つまり、ダンスのジャンルの「アニメーション」と「ポッピング」の違いについて理解することは、アニメーションダンスとアニメーションスタイルの違いを理解することでもあります。
第3回|ポッピングとの違い
そこでシリーズ第3回目の次回は「アニメーションダンスとポッピングの違い」にスポットを当て、2つの決定的な「違い」について詳しく解説していきたいと思います。
それではまた次のコンテンツでお会いしましょう。
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