エレクトリックブガルーズ|ポッピングはいかにして全米へ広がったのか

アニメーションダンスの「全体像」の基礎から練習方法までを全12回にわたり解説していくシリーズの第1回目です。
アニメーションダンス講座|読めばわかる基礎と練習方法
アニメーションダンスの「全体像」の基礎から練習方法までを全12回シリーズで解説します。
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エレクトリックブガルーズ|ポッピングはいかにして全米へ広がったのか

1970年代前期から1980年代中期にかけて起きたダンスブームは、振り返ると、のちにストリートダンスの「いしずえ」となる新しいジャンルが次々と誕生した時期でもあります。

アニメーションダンスのルーツと関係の深い「ポッピング」もその一つです。

それではこの「ポッピング」がストリートダンスのジャンルの一つとなり得たのはなぜなのでしょうか。

それは「あるダンスクルー」の独創的なダンススタイルの影響が全米へ広がっていったことによって、のちに1984年公開の映画「ブレイクダンス」(Breakin’)へとつながる一大ムーブメントを巻き起こして発展したからです。

その「あるダンスクルー」とは、「ポッピング」と「ブガルー」の2大ダンススタイルを世に送り出した「エレクトリックブガルーズ」(Electric Boogaloos)です。

そこでシリーズ第1回目の今回は「エレクトリックブガルーズ」にスポットを当て、エレクトリックブガルーズのポッピングがどのように全米へ広がっていったのかについて詳しく解説していきたいと思います。

エレクトリックブガルーズとは

まずはじめに、エレクトリックブガルーズの名前にも入っている「Boogaloo」という言葉の由来から解説していきます。

「Boogaloo」とは

「Boogaloo」という言葉は、ジェームス・ブラウン(James Brown)の1966年リリースの12枚目のアルバム「James Brown Plays New Breed (The Boo-Ga-Loo)」のタイトルに由来しており、そのプロモーションで全米のTV放送を通じて披露したジェームス・ブラウンの個性的な「Boogaloo」ダンスに影響を受けたストリートダンサーによって広まっていきました。

この「Boogaloo」というダンスは1960年代前期のストリートダンサーによって創り出されたのが出発点で、その後1960年代から70年代にかけてストリートダンスをやっていたそれぞれの世代や地域、グループの解釈や価値観によってそのスタイルは変化していき、同じ「Boogaloo」の名称であってもさまざまな「Boogaloo」スタイルが存在していました。

特にカリフォルニア州北部のオークランドでは、1966年から1976年の10年間で、世の中のストリートダンスのトレンドがロボットやロッキング(Locking)へと移り変わっていった中で、オークランドではその影響をほとんど受けずに独自に発展したさまざまな解釈の「Boogaloo」スタイルが創り出され、その中にはのちに「ポッピング」(Popping)と呼ばれるようになる前兆の表現もありました。

グループ誕生

このような中、1974年頃にカリフォルニア州中部のフレズノでは小学校からの仲間によって「あるグループ」が誕生しました。

そのグループがブガルー・サム(Boogaloo Sam)(※1)、スライド(Slide)、ロボット・ジョー(Robot Joe)の3人からなる「エレクトリックブガルーロッカーズ」(Electric Boogaloo Lockers)です。

グループの名前は当時ストリートダンスの最先端だったロッキングのロッカーズ(Lockers)に影響を受けて名づけられました。

その後グループを大きくしてダンスイベントに出演したいと考えたブガルー・サムは、いとこのタイダルウェーブ・スキート(Tidal Wave Skeet)をメンバーに迎え入れます。

※1:エレクトリックブガルーズのリーダー。曲のビートに反応してポーズを形成した直後に身体の各部位を同時に弾いて表現する「ポッピング」と、腰・ひざ・頭などの身体のあらゆる部分のロールを自在に使いこなすことによって流動的に表現する「ブガルー」を創り出したオリジネーター(考案者)。マイケル・ジャクソンの作品にはショートフィルム「ゴースト」に出演した。

新たな仲間

1976年、ブガルー・サム(19歳)はフレズノのダンスイベントで、グループのその後のオリジナリティーの方向性を決定づけることとなる2人組のストリートダンサーと出会います。

そのストリートダンサーがティッキン・ウィル(Tickin’ Will)(15歳)とツイスト・オー・フレックス・ドン(Twist-o-Flex Don)(14歳)です。

当時のブガルー・サムは「ロッキング」をメインスタイルとし、最近(前述の)「Boogaloo」スタイルを学んだストリートダンサーでしたが、この2人組はストリートダンサーと技を競い合う「バトル」の経験を通してスキルを磨いていく中で独創的なスタイルを創り出していた「たたき上げ」のストリートダンサーで、当時のブガルー・サムが持っていなかったさまざまなスタイルを持っていました。

その独創的なスタイルに興味を持ったブガルー・サムは、一緒に練習しないか2人に声をかけます。

このことがきっかけとなり、練習を通してブガルー・サムと意気投合するようになった2人はグループに加わることとなりました。

ダンスクルー結成

ティッキン・ウィルとツイスト・オー・フレックス・ドンの2人の加入により、ブガルー・サムは自身が開発した、腰・ひざ・頭などの身体のあらゆる部分のロールを自在に使いこなすことによって流動的に表現する「ブガルー」へ、2人によってグループにもたらされたさまざまなスタイルの要素を取り入れて表現するようになったことで、ダンスの表現力が飛躍的に向上します。

その一方で、練習をしていくにつれてグループの進むべき方向性のビジョンが見えはじめていたブガルー・サムの目には、メンバーのレベルに差が出てきていることに気づきます。

それはグループの共同設立者のスライドとロボット・ジョーでした。

この2人はもともと「ロボット」をメインスタイルとしており、ロボットの表現特有のゆっくりとした動きを得意としていたため、メンバー全員で合わせて踊るダンスルーティーン(振り)の際の「動きの速いポッピング」についていくことができなくなっていました。

そこでブガルー・サムはグループ内にグループを持つという考えで「エレクトリックロボッツ」(Electric Robots)を立ち上げ、そこにスライドとロボット・ジョーが所属するという方針をとりました。

こうしてブガルー・サムによって結成されたダンスクルー、(新生)「エレクトリックブガルーロッカーズ」は、1977年2月にエントリーしたダンスコンテストではじめて優勝します。

オリジナルスタイル

エレクトリックブガルーロッカーズが創り出したおもなオリジナルスタイル、すなわちエレクトリックブガルーロッカーズバージョンの「Boogaloo」スタイルをまとめると次のとおりです。

01. ティッキング (Ticking)

02. オールドマン (Oldman)

03. フレックス系&ツイスト系 (Flex & Twist)

04. バックスライド (Backslide)

05. クリーピング (Creeping)

06. ムーンウォーク (Moonwalk)

07. ポッピング (Popping)

08. ブガルー (Boogaloo)

09. タイダルウェーブ (Tidal Wave)

10. トイマン (Toyman)

11. スケアクロウ (Scarecrow)

12. パペット (Puppet)

01. ティッキング

ティッキング(Ticking)は、ティッキン・ウィルが1975年に創り出したスタイルです。

このスタイルは時計の秒針がカチカチ動いていく様子からインスピレーションを受けて創り出されました。

現在のティッキングが、等間隔に順を追ってパラパラ漫画のように表現するスタイルであるのに対し、ティッキン・ウィルが創り出したティッキングは、オンカウントとエンカウントを1セットとして小刻みかつランダムにポーズを形成していくスタイルであるところに特徴があります。

02. オールドマン

オールドマン(Oldman)は、ティッキン・ウィルとツイスト・オー・フレックス・ドンが1975年に創り出したスタイルです。

このスタイルは、ある日2人がスーパーマーケットのレジに並んでいた時、たまたま前に並んでいた「片足に義足を持った老人」の歩く様子が「ひざから上半身にかけてロールしながら移動するダンス」のように見えたことからインスピレーションを受けて創り出されました。

片足を軽く蹴り出し、ひざから上半身にかけてロールしながら横方向へ移動して表現します。

03. フレックス系&ツイスト系

フレックス(Flex)系とツイスト(Twist)系のスタイルは、ツイスト・オー・フレックス・ドンが1975年に創り出したスタイルです。

おもなスタイルには1. ツイスト・オー・フレックス(Twist-o Flex)、2. ネック・オー・フレックス(Neck-o Flex)、3. マスター・フレックス(Master Flex)、4. エジプシャン・ツイスト(Egyptian Twist)、5. ロメオ・ツイスト(Romeo Twist)があります。

これらが創り出されたインスピレーションの一例をあげると、ツイスト・オー・フレックスは、スプリング(ばね)のおもちゃが高いところから低いところへ伸び縮みしながら下がっていく動きからインスピレーションを受けて創り出されました。

エジプシャン・ツイストは、エジプトの古代遺跡の壁画に描かれている2次元の絵の人物のポーズからインスピレーションを受けて創り出されました。

これらのスタイルは、首、上半身、下半身など、身体の各部位の使い分けを意識して表現するところに特徴があります。

04. バックスライド

かかとからつま先にかけて後方へ交互にスライドしながら移動していくバックスライド(Backslide)の表現は、タップダンスの分野でビル・ベイリー(Bill Bailey)が1943年公開の映画「Cabin In The Sky」でバックスライドを披露しているのが一番古いとされています。

エレクトリックブガルーズバージョンのバックスライドは、ティッキン・ウィルが1975年に考案し、後年その動きを見て学んだクリーピン・シッド(Creepin Sid)が「より滑らかで、より長い距離のバックスライド」の表現へと改良しました。

なお、マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)との違いは「表現コンセプト」にあります。

マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)の表現コンセプトが、月の上を歩いているかのように後ろと前へ同時に歩いていくバックスライド、すなわち「前に進んでいるようで後ろへ進んでいくバックスライド」の表現であるのに対し、バックスライドの表現コンセプトは、動く歩道のように自動的に床が後方へ移動していくエスカレーターの上で人が前に進んで歩いているような表現で、人がそのエスカレーターの上で前に進んで歩き続けている時に常に床が後方へ移動し続けているためその人を連れ戻すような表現、です。

05. クリーピング

クリーピング(Creeping)は、ティッキン・ウィルが1975年に創り出したスタイルです。

前述のとおり、カリフォルニア州北部のオークランドでは、独自に発展したさまざまな解釈の「Boogaloo」スタイルが創り出され、その中には同じ名前の「クリーピング」と呼ばれる表現もありましたが、ティッキン・ウィルのクリーピングは独自の解釈を適用した別の表現となっています。

具体的には、オークランドバージョンのクリーピングは「カートゥーンアニメーションのディズニー(Disney)に登場する犬のキャラクターのグーフィー(Goofy)の特徴的な歩き方にインスピレーションを受けた表現」であるのに対し、ティッキン・ウィルの解釈によるティッキン・ウィルバージョンのクリーピングは「その場にとどまりながらゆっくりとバックスライドしているようにみせる表現」です。

06. ムーンウォーク

ムーンウォーク(Moonwalk)は、ティッキン・ウィルが1975年に考案し、リーダーのブガルー・サムによって発展していった回転ムーンウォークのスタイルです。

かかとからつま先にかけて後方へ交互にスライドしながら移動していく「バックスライド」をマイケル・ジャクソンが「ムーンウォーク」と命名し1983年のモータウン25(※2)で披露したことによって、一般にはバックスライドの表現が「ムーンウォーク」として広く知られるようになりましたが、歴史的観点からするとブガルー・サムの、ひざをやわらかく使いながら円を描くように体重移動していく表現を利用して、月の上を歩いているかのようにゆっくりと歩いてみせる表現が本来の「ムーンウォーク」(The Moonwalk)です。

この「ムーンウォーク」(The Moonwalk)の表現はマイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)とは明らかに異なる表現コンセプトで創られたスタイルであるため、現在はそれとは区別して「オリジナルムーンウォーク」(Original Moonwalk)と呼ばれています。

※2:マイケル・ジャクソンがジャクソン5時代に所属していたレコードレーベル「モータウン」の設立25周年を記念して開催された音楽の祭典。そのハイライトは1983年5月16日に全米でTV放送された。祭典の正式名称は「Motown25: Yesterday, Today, Forever」(モータウン25:昨日、今日、そして永遠に)。この祭典がマイケルにとってムーンウォーク(バックスライド)初披露の場となった。

07. ポッピング

ポッピング(Popping)は、ブガルー・サムが1976年に創り出したスタイルです。

曲のビートに反応してポーズを形成した直後に、瞬間的に筋肉へ力を入れることによって身体の各部位を同時に弾いて表現します。

このスタイルは1960年代初期に流行したダンスの「ジャーク」(Jerk)の動きや教会で人々がゴスペルに合わせて「シェイク」(Shake)する動きからインスピレーションを受けて創り出されました。

前述のとおり、カリフォルニア州北部のオークランドでは、独自に発展したさまざまな解釈の「Boogaloo」スタイルが創り出され、その中にはのちに「ポッピング」と呼ばれるようになる前兆の表現もありました。

一例をあげると、当時のストリートダンサーの音楽のトレンドだったファンク(Funk)で「音が突然停止する部分」を利用して身体を「フリーズ」する際に、勢いあまって身体がゆれる動きや、太ももに力を入れて身体を「ストップ」する際に、腕、上半身、頭へ向かって体が振動して震える動きです。

これらの動きは前述の「Boogaloo」スタイルと呼ばれたり、「ポッピング」ではない、グループ内だけで通用する別の名称で呼ばれていました。

また、ティッキン・ウィルとツイスト・オー・フレックス・ドンの2人もエレクトリックブガルーロッカーズに加わる前から「身体の部位を弾いているように見える動き」の表現を持っていましたが、この動きを彼らは自分たちのダンスレパートリーの動きの一つとしか考えていなかったため、その動きに固有名称をつけて呼んではいませんでした。

ブガルー・サムのすごい点は、「ジャーク」や「シェイク」の動き、オークランドの「フリーズ」や「ストップ」の動き、ティッキン・ウィルとツイスト・オー・フレックス・ドンの「身体の部位を弾いているように見える動き」を踏まえ、ブガルー・サムの解釈によるブガルー・サムバージョンの「動き」、すなわち「瞬間的に筋肉へ力を入れることによって身体の各部位を弾く動き」を「曲のビートに反応してポーズを形成した直後に身体の各部位を同時に弾いて表現するスタイル」として確立し、そのスタイルを「ポッピング」と命名して世の中に浸透させたことです。

08. ブガルー

ブガルー(Boogaloo)は、ブガルー・サムが1976年に創り出したスタイルです。

このスタイルはルーニー・テューンズ(Looney Tunes)などのカートゥーンアニメーションに登場するキャラクターが「骨がないように動いている」シーンにインスピレーションを受けて創り出されました。

腰・ひざ・頭などの身体のあらゆる部分のロールを自在に使いこなすことによって流動的に表現します。

前述のとおり、1960年代から70年代にかけてストリートダンスをやっていたそれぞれの世代や地域、グループの解釈や価値観によって「Boogaloo」スタイルは変化していき、同じ「Boogaloo」の名称であってもさまざまな「Boogaloo」スタイルが存在していました。

ブガルー・サムのすごい点は、さまざまな「Boogaloo」スタイルが存在していた状況の中で、ブガルー・サムの解釈によるブガルー・サムバージョンの「Boogaloo」スタイル、すなわちカートゥーンアニメーションに登場するキャラクターが「骨がないように動いている」シーンにインスピレーションを受けて創り出した動きを、「腰・ひざ・頭などの身体のあらゆる部分のロールを自在に使いこなすことによって流動的に表現するスタイル」として確立し、そのスタイルを「ブガルー」と命名して世の中に浸透させたことです。

09. タイダルウェーブ

タイダルウェーブ(Tidal Wave)は、トイマン・スキート(Toyman Skeet)が「タイダルウェーブ・スキート」(Tidal Wave Skeet)のダンサーネームだった1976年に創り出したスタイルです。

このスタイルは波の動きにインスピレーションを受けて創り出されました。

身体を波打つようにアイソレーションしていくボディーウェーブによって「タイダルウェーブ」(津波)を表現します。

10. トイマン

トイマン(Toyman)は、トイマン・スキートが1977年に創り出したスタイルです。

このスタイルは1960年代に人気を博したGIジョー(G.I.Joe)のようなアクションフィギュアの動きにインスピレーションを受けて創り出されました。

アクションフィギュアの「可動式関節を持つ人形」のような動きの表現に特徴があり、ロボットよりも各部位の可動範囲の制限がないように表現しつつ、人間の可動範囲よりも制限があるように表現します。

11. スケアクロウ

スケアクロウ(Scarecrow)は、ブガルー・サムが1977年に創り出したスタイルです。

このスタイルは1939年公開の映画「オズの魔法使い」のかかし(スケアクロウ)からインスピレーションを受けて創り出されました。

かかしの外観の特徴である「直線的に伸びた腕」を活かして表現します。

12. パペット

パペット(Puppet)は、ブガルー・サムが1977年に創り出したスタイルです。

このスタイルは「操り人形」の動きからインスピレーションを受けて創り出されました。

おもな部位に糸をつけた人形が上から糸をつたって操作されているように表現します。

オリジナリティー

エレクトリックブガルーロッカーズのダンススタイルの「オリジナリティー」は、曲のビートに反応してポーズを形成した直後に身体の各部位を同時に弾いて表現する「ポッピング」と、腰・ひざ・頭などの身体のあらゆる部分のロールを自在に使いこなすことによって流動的に表現する「ブガルー」の2つのスタイルが「互いに補完し合う関係」であることを理解した上で「1つの完全体のダンス」として表現するところにあります。

これは現在のエレクトリックブガルーズのオリジナリティーを象徴するスタイルでもあり、当時もいまも変わらない一貫した「オリジナルスタイル」です。

このオリジナルスタイルをベースに、メンバーは他のスタイルを取捨選択することによって「自分の表現」を形成します。

なおブガルー・サムは、当時これらすべてのスタイルの表現コンセプトを理解した上で意のままに表現することができる唯一の表現者でした。

転機

これらのスタイルを中心としたエレクトリックブガルーロッカーズの独創的なダンススタイルが全米へ広がっていった直接的な背景は、当時全米で最先端のストリートダンスを発信していた音楽番組「ソウルトレイン」への出演ですが、そこにつながるきっかけとなったのは、当時ラスベガスラウンジのショープロデューサーでTV業界ともつながりを持っていたジェフ・クタッシュ(Jeff Kutash)によって1978年に見出されたことです。

ジェフ・クタッシュはストリートダンスをカジノショー市場に持ち込んだ最初の人物で、のちにマイケル・ジャクソンの最後のツアーとなる予定だったThis Is It ツアーのディレクターも務めていました。

1978年、ブガルー・サムは、フレズノから弟のポッピン・ピート(Popin’ Pete)(※3)の住むカリフォルニア州ロングビーチへ引っ越し、そこで出会った新しいメンバーへエレクトリックブガルーロッカーズバージョンの「Boogaloo」スタイルを伝授します。

ある日グループがハリウッドに行って路上パフォーマンスをやっていた時、彼らに興味を示して声をかけてきた人によってチャンスが訪れます。

それが前述のジェフ・クタッシュが主催するカジノショーのオーディションで、このことがきっかけとなりグループはカジノショーでのバックアップダンサーの仕事をはじめることとなりました。

なお、グループの名称がジェフ・クタッシュの意向により「長すぎる」という理由から「ロッカーズ」を削除した「エレクトリックブガルー」(Electric Boogaloo)へと変更となったのもこの時期です(※のちにグループの意思によって「Electric Boogaloos」へと改名します)。

※3:1979年にエレクトリックブガルーズが当時全米で最先端のストリートダンスを発信していた音楽番組「ソウルトレイン」へ出演した時の5人のレジェンドメンバーの一人。1984年公開の映画「ブレイクダンス」(Breakin’)ではポッピン・タコ(Pop N Taco)(※4)とタッグを組んだ存在感あるパフォーマンスを披露。マイケル・ジャクソンの作品にはショートフィルム「Beat It」(1983年)、ディズニーアトラクション体感型3D映画「キャプテンEO」(1986年)、ショートフィルム「ゴースト」(1996年)などに出演した。

※4:マイケル・ジャクソンが自身の「アニメーションダンス」の表現を確立していく過程においてブガルー・シュリンプ(Boogaloo Shrimp)(※5)と共に影響を受けたレジェンド。「ストップモーションアニメーションスタイル」、「アニマトロニクススタイル」のオリジネーター。1983年から1997年までマイケルのパーソナルダンストレーナー(クリエイティブコンサルタント)として、ポッピングとアニメーションスタイルのすべてをマイケルに伝授した。また、マイケルの作品にはディズニーアトラクション体感型3D映画「キャプテンEO」(1986年)、映画「ムーンウォーカー」のSmooth Criminal(1988年)、ショートフィルム「ゴースト」(1996年)などに出演した。

※5:マイケル・ジャクソンが自身の「ムーンウォーク」と「アニメーションダンス」を確立していく過程において影響を受けたレジェンド。「リキッドアニメーションスタイル」のオリジネーター(考案者)。1983年から1991年までマイケルのソロパートのアドバイザー(パーソナルポッピングインストラクター)として、1984年のジャクソンズヴィクトリーツアー以降のBillie Jean終盤の間奏部分のダンスパートをはじめ、ムーンウォーク(バックスライド)を含む一連のパフォーマンスを完成度の高いレベルまで引き上げる仕事にたずさわった。

TVメディアへの出演

これまで誰にも干渉されずに自由にダンスをクリエイトして(創り出して)きたエレクトリックブガルーと、ビジネスマンでありショープロデューサーであるジェフ・クタッシュとの関係は必ずしもよい関係とは言えませんでしたが、TV業界ともつながりを持っていたジェフ・クタッシュによってグループはTVメディアに出演するチャンスをつかむことができました。

エレクトリックブガルーが最初にTVメディアに登場したのは、1978年11月に放送された音楽バラエティ番組「Midnight Special」です。

この番組はエレクトリックブガルーバージョンの「Boogaloo」スタイルが全米のTVではじめて放送されたと共に、クリーピン・シッドが全米のTV放送ではじめてバックスライドを披露した番組となりました。

続いて同年の同じ月に出演した音楽バラエティ番組「Hot City」、そして翌年の1979年6月に放送されたディスコバラエティ番組「Kicks」に出演し、地道にキャリアを積み重ねていきます。

このように地道にキャリアを積み重ねていったエレクトリックブガルーのダンススタイルは、やがて本拠地ロングビーチを中心とするウエストコースト(西海岸)のストリートダンサーの間で彼らの影響を受けたダンススタイルが広まっていきました。

3人のキッズ

このエレクトリックブガルーの影響を受け、彼らのダンススタイルを取り入れて表現するダンサーたちの中に3人のキッズ(kids:若者たち)がいました。

その3人のキッズとは、キャスパー・キャニデイト(Geron “Caszper” Canidate)とクーリー・ジャクソン(Derek “Cooley” Jaxson)、そしてジェフリー・ダニエル(Jeffrey Daniel)です。

キャスパー・キャ二デイトとクーリー・ジャクソンはダンスクルー「The Eclipse」のメンバーで、音楽番組「ソウルトレイン」にエレクトリックブガルーのダンススタイルの一つである「バックスライド」を早い時期に持ち込み披露したダンサーです。

1979年にマイケル・ジャクソンへバックスライドを教えたことをきっかけに、キャスパー・キャ二デイトは1987年公開のショートフィルム「Bad」では地下鉄構内のシーン、1988年公開の映画「ムーンウォーカー」のSmooth Criminalでは、身体を前傾する通称「ゼログラビティ」から回転ムーンウォークへ展開するシーンでマイケルの脇を固める4人のダンサーの一人として出演し、クーリー・ジャクソンは前述の映画「ムーンウォーカー」のSmooth Criminalの、身体を前傾する通称「ゼログラビティ」から回転ムーンウォークへ展開するシーンの4人のダンサーの一人として出演しています。

ジェフリー・ダニエルは1980年にマイケル・ジャクソンへバックスライドを教えたことをきっかけに、のちに1987年公開のショートフィルム「Bad」や1988年公開の映画「ムーンウォーカー」のSmooth Criminalのコレオグラファー兼ダンサーとしてマイケルの仕事にたずさわり、Badでは地下鉄構内のシーン、Smooth Criminalでは、キャスパー・キャ二デイトとクーリー・ジャクソンと共に身体を前傾する通称「ゼログラビティ」から回転ムーンウォークへ展開するシーンでマイケルの脇を固める4人のダンサーの一人として出演しています。

この3人はジェフリー・ダニエルが業界の「先輩」、The Eclipseの2人は年下の「後輩」という関係で、1977年にThe Eclipseが出場したダンスコンテストで出会います。

当時キャスパー・キャ二デイトは14歳でクーリー・ジャクソンは16歳でした。

20歳のジェフリー・ダニエルはその時すでにソウルトレインのバックアップダンサーのキャリアを通じて人気ダンサーとなっており、そのダンスコンテストの審査員をしていました。

この3人は2年後にダンスユニット「Jeffrey Daniel & The Eclipse」を結成し、1979年11月4日放送のソウルトレインへ出演します。

このパフォーマンスはマイケル・ジャクソンも見ており、翌年の1980年にジェフリー・ダニエルがマイケルへバックスライドを教えるきっかけとなったパフォーマンスとして知られていますが、エレクトリックブガルーとソウルトレインとを結びつけるきっかけとなったパフォーマンスでもあります(※参照:YouTube)。

なぜならパフォーマンスの前のインタビューでソウルトレイン司会者のドン・コーネリアス(Don Cornelius)が「影響を受けたダンス」について質問した際に、ジェフリー・ダニエルは、そのダンスは「ブガルー」と言ってロングビーチの「エレクトリックブガルー」というグループをオリジナルとします、と答え、続けて、それは「ポッピンスタイル」です、と答えたことによって、「エレクトリックブガルー」の名前がソウルトレインの番組を通じて全米に発信されたからです。

「ソウルトレイン」への出演

このパフォーマンスを見たドン・コーネリアスは、過去にロボット、ロッキングなど、ストリートダンスのトレンドの最先端に立ち会ってきた経験から、今回もストリートダンスのトレンドに大きな変化が起こっていることを察知します。

そしてドン・コーネリアス自らブガルー・サムへ直接連絡を取り、エレクトリックブガルーは3週間後の11月24日放送のソウルトレインへ出演することとなるのでした(※6)。

※6:エレクトリックブガルーは1979年11月24日の放送と1980年4月19日の放送でソウルトレインへ出演。出演メンバーはブガルー・サム、ポッピン・ピート、ロボット・ダン(Robot Dane)、パペット・ブーザー(Puppet Boozer)、クリーピン・シッドの5人。なお、初出演時の衣装はブラックとシルバー、2回目の出演ではカラフルな衣装を着用してパフォーマンスした(※参照:YouTube)。

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次回について

以上が「エレクトリックブガルーズのポッピングがどのように全米へ広がっていったのか」についての解説でした。

マイケル・ジャクソンが「ムーンウォーク」と共にもっとも重要なダンスと位置づけ、ここぞという見せ場の武器としていたダンスがあります。

それが「アニメーションダンス」です。

アニメーションダンスとは、簡単に説明すると、ロボットのような動きを取り入れたダンスのことで、1980年代前期よりウエストコースト(西海岸)のストリートダンサーから広まっていったスタイルです。

1984年公開の映画「ブレイクダンス」(Breakin’)によって世界中のストリートダンサーへと広まり、その後マイケル・ジャクソンが1980年代から90年代にかけて開催した3つのワールドツアー(※7)で披露したことによって一般の人々の目にも触れるようになりました。

「ムーンウォーク」の知名度の方が高いため、いまでも一般的には広く知られてはいませんが、マイケル・ジャクソンのアニメーションダンスは1987年のバッドツアーのHuman Natureではじめて登場し、その後1992年のデンジャラスツアー、1996年のヒストリーツアーと公演を重ねていくごとにBillie JeanやStranger In Moscowなどで顕著に表現されるようになっていきました。

このようにマイケル・ジャクソンが「ムーンウォーク」と共にもっとも重要なダンスと位置づけ披露していたアニメーションダンスは、当時10代だった2人のレジェンドによって創られました。

その2人のレジェンドとは、ブガルー・シュリンプ(Boogaloo Shrinmp)とポッピン・タコ(Pop N Taco)です。

※7:バッドツアー(1987年)、デンジャラスツアー(1992年)、ヒストリーツアー(1996年)。

第2回|歴史

そこでシリーズ第2回目の次回は「アニメーションダンスの歴史」にスポットを当て、マイケル・ジャクソンの創造性を刺激したアニメーションダンスの歴史とルーツについて詳しく解説していきたいと思います。

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それではまた次のコンテンツでお会いしましょう。

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