ムーンウォークのやり方|マイケル・ジャクソンから学ぶ最適な歩幅
バックスライドは1歩目と2歩目の足の使い方が理解できれば、3歩目以降は練習次第で足を後方へ交互にスライドしながら移動できるようになります。
ここまでの解説を通してバックスライド1歩目と2歩目のしくみと実践的な足の使い方についての理解を深めた次におさえておきたいことは、「バックスライドの歩幅について理解すること」です。
マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)は1983年のモータウン25(※1)での初披露のあと、改良を重ねながら進化していったため、それにともない歩幅も変化していきました。
そこで今回は「バックスライドの歩幅」にスポットを当て、マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)の歩幅の変遷から導き出した「最適なバックスライドの歩幅」について詳しく解説していきたいと思います。
※1:マイケル・ジャクソンがジャクソン5時代に所属していたレコードレーベル「モータウン」の設立25周年を記念して開催された音楽の祭典。そのハイライトは1983年5月16日に全米でTV放送された。祭典の正式名称は「Motown25: Yesterday, Today, Forever」(モータウン25:昨日、今日、そして永遠に)。
歩幅の変遷
結論から先に言うと、マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)の歩幅の変遷から導き出した「最適なバックスライドの歩幅」は、自分の足のサイズの「1~1.5倍」です。
これを踏まえ、マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)の歩幅の変遷について詳しく振り返っていきます。
5つの時期から振り返る
マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)の歩幅を時期別に分類すると次の5つの時期となります。
1. モータウン25 (1983年)
2. ヴィクトリーツアー (1984年)
3. バッドツアー (1987年)
4. デンジャラスツアー (1992年)
5. ヒストリーツアー (1996年)
1. モータウン25
マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)の歴史は、1983年に初披露したモータウン25が起点です。
歩幅
このモータウン25におけるおもな歩幅は、自分の足のサイズの「0.5~1倍」でした。
特筆すべき点
マイケル・ジャクソンがこの歩幅を採用したおもな背景は、マイケルが1980年にジェフリー・ダニエル(Jeffrey Daniel)からバックスライドを教わった影響が考えられます。
ジェフリー・ダニエルはマイケル・ジャクソンが自身のムーンウォーク(バックスライド)の表現を確立していく過程において影響を受けた2人のレジェンドのうちの一人です。
1980年にマイケル・ジャクソンへバックスライドを教えたことをきっかけに、のちに1987年公開のショートフィルム「Bad」や1988年公開の映画「ムーンウォーカー」のSmooth Criminalのコレオグラファー兼ダンサーとしてマイケルの仕事にたずさわり、Badでは地下鉄構内のシーン、Smooth Criminalでは、身体を前傾する通称「ゼログラビティ」から回転ムーンウォークへ展開するシーンでマイケルの脇を固める4人のダンサーの一人として出演しています。
そのジェフリー・ダニエルのバックスライドがマイケル・ジャクソンの目にとまるきっかけとなったのが、1979年にキャスパー・キャ二デイト(Geron “Caszper” Canidate)(※2)とクーリー・ジャクソン(Derek “Cooley” Jaxson)(※3)と共にダンスクルー「Jeffrey Daniel & The Eclipse」を結成し、ソウルトレイン(※4)で披露したバックスライドです。
この時披露したジェフリー・ダニエルのバックスライドのおもな歩幅は、自分の足のサイズの「0.5~1倍」でした。
また、ストリートダンスの分野ではじめてバックスライドを披露したエレクトリックブガルーズ(Electric Boogaloos)(※5)のクリーピン・シッド(Creepin Sid)(※6)もおもに自分の足のサイズの0.5〜1倍の歩幅でバックスライドしていたため、当時のバックスライドの歩幅の「基準」がそうであったことが考えられます。
※2:当時全米で最先端のストリートダンスを発信していた音楽番組「ソウルトレイン」にエレクトリックブガルーズのダンススタイルの一つである「バックスライド」を早い時期に持ち込み披露したダンサーの一人。1979年にクーリー・ジャクソンと共にマイケル・ジャクソンへバックスライドを教えたことをきっかけに、1987年公開のショートフィルム「Bad」では地下鉄構内のシーン、1988年公開の映画「ムーンウォーカー」ではSmooth Criminalの、身体を前傾する通称「ゼログラビティ」から回転ムーンウォークへ展開するシーンでマイケルの脇を固める4人のダンサーの一人として出演した。
※3:当時全米で最先端のストリートダンスを発信していた音楽番組「ソウルトレイン」にエレクトリックブガルーズのダンススタイルの一つである「バックスライド」を早い時期に持ち込み披露したダンサーの一人。1979年にキャスパー・キャニデイトと共にマイケル・ジャクソンへバックスライドを教えたことをきっかけに、1988年公開の映画「ムーンウォーカー」のSmooth Criminalでは、身体を前傾する通称「ゼログラビティ」から回転ムーンウォークへ展開するシーンでマイケルの脇を固める4人のダンサーの一人として出演した。
※4:当時全米で最先端のストリートダンスを発信していた音楽番組。
※5:ブガルー・サム(Boogaloo Sam)(※7)によって1977年に結成された伝説的ダンスクルー。曲のビートに反応してポーズを形成した直後に身体の各部位を同時に弾いて表現する「ポッピング」(Popping)と、腰・ひざ・頭などの身体のあらゆる部分のロールを自在に使いこなすことによって流動的に表現する「ブガルー」(Boogaloo)の2大ダンススタイルを世に送り出した。なお、結成時の1977年は、エレクトリックブガルーロッカーズ(Electric Boogaloo Lockers)の名称でカリフォルニア州フレズノを本拠地としていたが、1978年にカリフォルニア州ロングビーチへ移転後「エレクトリックブガルーズ」へと改名した。
※6:ストリートダンスの歴史において1978年に全米のTV放送ではじめてバックスライドを披露したレジェンド。エレクトリックブガルーズのメンバー。代表的な表現には、前述のかかとからつま先にかけて後方へ交互にスライドしながら移動していく「バックスライド」や、バックスライドの逆バージョンとして、つま先からかかとにかけて前方へ交互にスライドしながら移動していく「フロントスライド」、左右の足を横方向へ交互にスライドしながら移動していく「サイドスライド」、そして自身のダンサーネームの由来となっている、その場にとどまりながらゆっくりとバックスライドしているようにみせる「クリーピング」がある。なお、かかとからつま先にかけて後方へ交互にスライドしながら移動していくバックスライドの表現は、タップダンスの分野でビル・ベイリー(Bill Bailey)が1943年公開の映画「Cabin In The Sky」でバックスライドを披露しているのが一番古いとされている(※参照:YouTube)。エレクトリックブガルーズバージョンのバックスライドはメンバーのティッキン・ウィル(Tickin’ Will)が1975年に考案し、後年その動きを見て学んだクリーピン・シッドが「より滑らかで、より長い距離のバックスライド」の表現へと改良した。
※7:エレクトリックブガルーズのリーダー。曲のビートに反応してポーズを形成した直後に身体の各部位を同時に弾いて表現する「ポッピング」と、腰・ひざ・頭などの身体のあらゆる部分のロールを自在に使いこなすことによって流動的に表現する「ブガルー」を創り出したオリジネーター(考案者)。マイケル・ジャクソンの作品にはショートフィルム「ゴースト」に出演した。
2. ヴィクトリーツアー
モータウン25の翌年の1984年のジャクソンズヴィクトリーツアーは、マイケル・ジャクソンにとってジャクソン5以来所属してきたグループでの最後のツアーでした。
歩幅
この時期のマイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)はモータウン25よりも「歩幅を大きく取りながらバックスライドする表現」へと改良しており、そのおもな歩幅は自分の足のサイズの1倍を超える「1.3〜1.6倍」でした。
特筆すべき点
マイケル・ジャクソンが「歩幅を大きく取りながらバックスライドする表現」を採用したおもな背景は、ブガルー・シュリンプ(Boogaloo Shrimp)のバックスライドに影響を受けたからです。
ブガルー・シュリンプは前述のジェフリー・ダニエルと並び、マイケル・ジャクソンが自身のムーンウォーク(バックスライド)の表現を確立していく過程において影響を受けた2人のレジェンドのうちのもう一人のレジェンドです。
マイケル・ジャクソンがムーンウォーク(バックスライド)を初披露したあとの1983年、ブガルー・シュリンプはライオネル・リッチー(Lionel Richie)のバックアップダンサーの仕事を通じてマイケルと出会います。
このことがきっかけとなり、ブガルー・シュリンプは1983年から1991年までマイケル・ジャクソンのソロパートのアドバイザー(パーソナルポッピングインストラクター)として、1984年のジャクソンズヴィクトリーツアー以降のBillie Jean終盤の間奏部分のダンスパートをはじめ、ムーンウォーク(バックスライド)を含む一連のパフォーマンスを完成度の高いレベルまで引き上げる仕事にたずさわることとなります。
当時のブガルー・シュリンプは10代前半で成長期の過程にあったため、自身の身長の低さに起因するパフォーマンスの視覚的デメリットを持っていましたが、すべての動きをより大きくみせることでデメリットをメリットへと変える効果的な表現を考えます。
その表現の一つが「バックスライドの歩幅を当時の基準よりも大きく取ること」です。
この成果は1984年公開の映画「ブレイクダンス」(Breakin’)に出演した際のバックスライドに反映されており、この時のブガルー・シュリンプのバックスライドのおもな歩幅は、自分の足のサイズの「1~1.5倍」でした。
3. バッドツアー
1987年のバッドツアーはマイケル・ジャクソンにとってソロとしてはじめてのワールドツアーです。
歩幅
この時期のマイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)のおもな歩幅は、自分の足のサイズの「1.3〜1.8倍」でした。
特筆すべき点
このバッドツアーにおけるマイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)の歩幅は、自分の限界に挑戦しているかのように、上述した1.3~1.8倍を超える2倍、2.5倍以上の突出した数値も叩き出していた「攻め」の時期でした。
4. デンジャラスツアー
1992年のデンジャラスツアーはマイケル・ジャクソンの2回目のワールドツアーです。
歩幅
この時期のマイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)のおもな歩幅は、自分の足のサイズの「1.2~1.7倍」で、おもに「1.5倍」を推移していました。
特筆すべき点
このデンジャラスツアーで、1984年のジャクソンズヴィクトリーツアー以降採用してきた「歩幅を大きく取りながらバックスライドする表現」によるムーンウォーク(バックスライド)は一つの完成形に到達します。
5. ヒストリーツアー
1996年のヒストリーツアーはマイケル・ジャクソンの最後のワールドツアーです。
歩幅
この時期のマイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)のおもな歩幅は自分の足のサイズの「0.5~1.6倍」で、おもに「1倍」を推移していました。
特筆すべき点
このヒストリーツアーでマイケル・ジャクソンは、1984年のジャクソンズヴィクトリーツアー以降採用してきた「歩幅を大きく取りながらバックスライドする表現」と「スピード感を重視したバックスライドの演出」を1983年のモータウン25と同程度に戻して原点回帰をおこない、自身のムーンウォーク(バックスライド)の表現コンセプトである「月の上を歩いているかのように後ろと前へ同時に歩いていくムーンウォーク」、すなわち「前に進んでいるようで後ろへ進んでいくバックスライド」を完成します。
マイケルの歩幅のまとめ
以上を踏まえ、マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)の歩幅の変遷をまとめると次のとおりです。
1. モータウン25 (1983年)
マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)の歴史の起点。
◇おもな歩幅:0.5~1倍
2. ヴィクトリーツアー (1984年)
「歩幅を大きく取りながらバックスライドする表現」を採用。
◇おもな歩幅:1.3~1.6倍
3. バッドツアー (1987年)
2倍、2.5倍以上の突出した数値も叩き出していた「攻め」の時期。
◇おもな歩幅:1.3~1.8倍
4. デンジャラスツアー (1992年)
「歩幅を大きく取りながらバックスライドする表現」でムーンウォーク(バックスライド)の一つの完成形に到達。
◇おもな歩幅:1.2~1.7倍 (※おもに「1.5倍」を推移)
5. ヒストリーツアー (1996年)
モータウン25への原点回帰とムーンウォーク(バックスライド)の完成。
◇おもな歩幅:0.5~1.6倍 (※おもに「1倍」を推移)
マイケルの歩幅の変遷からわかることとは
これを踏まえ、マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)の歩幅の変遷からわかることは次の2点です。
1. ムーンウォーク(バックスライド)の一つの完成形に到達した時の歩幅が「1.5倍」
2. ムーンウォーク(バックスライド)を完成した時の歩幅が「1倍」
1. ムーンウォークの一つの完成形に到達した時の歩幅が「1.5倍」
1つ目は、1984年のジャクソンズヴィクトリーツアー以降「歩幅を大きく取りながらバックスライドする表現」を追求し、1992年のデンジャラスツアーでムーンウォーク(バックスライド)の一つの完成形に到達した時に採用していたおもな歩幅が、自分の足のサイズの「1.5倍」であった点です。
2. ムーンウォークを完成した時の歩幅が「1倍」
2つ目は、1983年のモータウン25以来、自身のムーンウォーク(バックスライド)の表現コンセプトとして追求してきた「月の上を歩いているかのように後ろと前へ同時に歩いていくムーンウォーク」、すなわち「前に進んでいるようで後ろへ進んでいくバックスライド」を1996年のヒストリーツアーで完成した時のおもな歩幅が、自分の足のサイズの「1倍」であった点です。
マイケルの「最適な歩幅」とは
このことからマイケル・ジャクソンがムーンウォーク(バックスライド)を表現する上で「最適なバックスライドの歩幅」は、自分の足のサイズの「1~1.5倍」で、最終的に採用した歩幅は「1倍」であったことがわかります。
最適な歩幅とは
以上をまとめると、マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)の歩幅の変遷から導き出した「最適なバックスライドの歩幅」は、自分の足のサイズの「1~1.5倍」です。
参考までに、私にとっての「最適なバックスライドの歩幅」は、自分の足のサイズの「0.8~1.4倍」です。
私のバックスライドの動画では、マイケル・ジャクソンがムーンウォーク(バックスライド)の完成に到達した1996年のヒストリーツアーの歩幅の「1倍」という数値にリスペクトの意味を込めて、自分の足のサイズの「1倍」を推移するように表現しています。
次回について
最適なバックスライドの歩幅について理解した次におさえておきたいことは、「バックスライドの体重移動とかかとの使い方について理解すること」です。
マイケル・ジャクソンはムーンウォーク(バックスライド)を演じる際にかならず「あること」をおこなっています。
それは、かかとを床へ「落とす」ような使い方をしていることです。
それではなぜマイケル・ジャクソンはムーンウォーク(バックスライド)を演じる際にかかとを「落とす」ような使い方をしているのでしょうか。
それはムーンウォーク(バックスライド)の「体重移動」の過程で必然的に生じる「かかとの落ちるしくみ」を利用してリズムを取っているからです。
この「かかとの落ちるしくみ」を理解した上でこのしくみを利用してリズムを取りながらバックスライドを表現することは重要です。
なぜならバックスライドのステップがキレのよいメリハリのある表現となるからです。
第7回|体重移動とかかとの使い方
そこで次回は「バックスライドの体重移動とかかとの使い方」にスポットを当て、バックスライドの「体重移動」の過程で必然的に生じる「かかとの落ちるしくみ」について詳しく解説することによって、バックスライドでリズムを取る際に重要となる「かかとの使い方」への理解を深めていきたいと思います。
それではまた次のコンテンツでお会いしましょう。
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