ムーンウォークを表現する上で本当の意味において難しいこととは

マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)を乗り越えるための考察を全5回にわたり解説していくシリーズの第5回目(最終回)です。
マイケル・ジャクソンのムーンウォークを乗り越える方法
マイケル・ジャクソンのムーンウォークを乗り越えるための考察と方法を全5回シリーズで解説します。
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ムーンウォークを表現する上で本当の意味において難しいこととは

「ムーンウォーク(バックスライド)を表現する上で本当の意味において難しいこと」とは、現在ほぼすべての人が共通認識として持っている、マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)が「絶対的基準」である、という価値観に対し、どうすればこれまでの価値観を乗り越え「自分の表現としてのバックスライド」を提示できるか、ということにあります。

そこでシリーズ最終回となる今回は、マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)を乗り越える方法にスポットを当て、その「一つの答え」について詳しく解説していきたいと思います。

「絶対的基準」の影響力

本来マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)から私たちが学ぶべきこととは、クリエイティブにおける「既存の表現を解釈する考え方」、「オリジナリティーを提示する考え方」、「新しい価値観を創り出す考え方」などを通して、マイケルの表現するムーンウォーク(バックスライド)からクリエイティブの「本質」を見極め、自分の表現としてつかみ取ることにあります。

なぜなら私たちがバックスライドを表現する上で取り組むべき「本当の課題」とは、マイケル・ジャクソンの表現するムーンウォーク(バックスライド)から「クリエイティブの本質」を学び取り、「自分の表現としてのバックスライド」を提示することによってマイケルのムーンウォーク(バックスライド)を乗り越え、独創的に新しく展開していくことだからです。

2つの「やってはいけないこと」

しかしながらこれまで数十年もの長い間、この「本当の課題」をスルーする形で、クリエイティブの観点からすると「やってはいけないこと」が延々と繰り返されてきました。

それが次の2つです。

1. マイケルのムーンウォークの完全コピー

2. マイケルよりも精度を高めたバックスライド

1. マイケルのムーンウォークの完全コピー

1つ目は、「マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)の完全コピー」です。

バックスライドには現代においてもいまだに「マイケル・ジャクソンの残像」がつきまとっています。

たとえばそれはオーディエンスが表現者の演じるバックスライドを見る際におこなう「評価方法」にも顕著にあらわれており、この「評価方法」はバックスライドを表現する者にとってある意味「宿命」と言ってもよいでしょう。

その「オーディエンスによる評価方法」とは、表現者の演じるバックスライドを見る際にかならず「マイケル・ジャクソンのムーンウォーク像」というフィルターと「表現者のバックスライド」を頭の中で重ねて比較することによって評価する方法です。

表現者にとって、この「オーディエンスによる評価方法」に対する一番の安易な解決方法は、「マイケル・ジャクソンのムーンウォーク像」のフィルターに合致するようにマイケルのムーンウォーク(バックスライド)を完全コピーし完全再現することです。

しかしながら、いくらオーディエンスが「マイケル・ジャクソンのムーンウォーク像」のフィルターに合致するようなバックスライドを求めているからといって、オーディエンスに迎合してマイケルのムーンウォーク(バックスライド)を完全コピーし完全再現してしまうのは、クリエイティブの観点からすると「やってはいけないこと」です。

なぜならそれはマイケル・ジャクソンの「二番煎じ」であり、表現者として「新しい表現」、「新しい価値観」の可能性を何も提示していないからです。

2. マイケルよりも精度を高めたバックスライド

2つ目は、「マイケル・ジャクソンよりも精度を高めたバックスライド」です。

前述の「オーディエンスによる評価方法」に対して表現者が次に考える安易な解決方法は、マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)の完全コピーをベースに、「技術」でマイケルよりも精度の高いバックスライドを提示してオーディエンスを納得させようとすることです。

しかし、マイケル・ジャクソンがたどった道は「マイケル専用の道」であり、マイケル自身がその道の延長線上に到達することによって意味があります。

そのため他の人がマイケル・ジャクソンと同じ道をなぞり、マイケルが打ち立てたムーンウォーク(バックスライド)の到達点までをトレースして完全コピーし、その地点から先の延長線上に到達してマイケルよりも技術の精度を高めたバックスライドを提示することは、クリエイティブの観点からするとこれも「やってはいけないこと」です。

なぜなら1と同様、それはマイケル・ジャクソンの「二番煎じ」であり、表現者として「新しい表現」、「新しい価値観」の可能性を何も提示していないからです。

「やってはいけないこと」が繰り返されてきた理由

しかしながらなぜこれまで数十年もの長い間、上述したような「やってはいけないこと」が延々と繰り返されてきたのでしょうか。

それはマイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)が現在においても「絶対的基準」として君臨しているからです。

この影響力はバックスライドを表現する表現者、それを見るオーディエンス、それぞれの意識の中に根深く浸透しています。

影響力①:表現者

バックスライドを表現する表現者においては、表現者がマイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)に心酔してしまうと、マイケルのムーンウォーク(バックスライド)が「絶対的基準」となってしまいます。

そうなると、いつの間にか「絶対的基準」であるマイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)を完全コピーし完全再現することがクリエイティブを追求する目標であると勘違いしてしまうようになり、その結果、その基準に「近づこう」という思考はあっても、「超えよう」という思考は持たなくなってしまうのです。

影響力②:オーディエンス

バックスライドを見るオーディエンスにおいては、前述のとおり、オーディエンスが表現者の演じるバックスライドを見る際にかならず「マイケル・ジャクソンのムーンウォーク像」のフィルターと「表現者のバックスライド」を頭の中で重ねて比較し評価する方法に顕著にあらわれています。

この評価方法によってオーディエンスは、「マイケル・ジャクソンのムーンウォーク像」のフィルターに限りなく重なるバックスライドに対しては「上手い」と評価し、ずれていると容赦なく「下手」と評価するのです。

ほとんどの人が気づいていない「あること」とは

このように、現在においてもマイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)を「絶対的基準」とする影響下にある私たちですが、ほとんどの人が「あること」に気づかないままバックスライドを表現しようとしています。

それは私たちが現在、マイケル・ジャクソンがバックスライドをはじめとする「ムーンウォーク」の表現領域のすべてを完結してしまったあとの世界線に立っている、ということです。

このことは、私たちがマイケル・ジャクソンの取り組んだことと同じ方向へ進んでも、マイケルのバックスライドをはじめとするマイケルが確立した各種ムーンウォークを超える可能性のほとんどないところまでマイケルが先に行き着いてしまったことを意味しています。

マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)が現在においても「絶対的基準」として君臨しているのは、このような背景があるためです。

「ある盲点」とは

しかしながら私たちは「ある盲点」にそろそろ気づくべき時が来ています。

それは、マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)が「絶対的基準」として機能しているのは、あくまでマイケルが完結した「ムーンウォーク」の表現領域の中だけである、ということです。

つまり、いまはマイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)が「絶対的基準」としてあつかわれていたとしても、それが永遠に君臨し続けるわけではなく、やがてクリエイティブを追求する表現者によって次の「基準」へと更新されていく「暫定的基準」でしかないのです。

このことは現在ほぼすべての表現者とオーディエンスが共通認識として持っている、マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)が「絶対的基準」である、という価値観が、実は暫定的価値観であり絶対的価値観ではない、ということにもつながります。

マイケル・ジャクソンが「ムーンウォーク」の表現領域のすべてを完結してしまったあとの世界線に立っているいまの私たちに必要なことは、マイケルが完結した「ムーンウォーク」の表現領域の中から抜け出し、まわりの価値観に左右されない「自分の価値観」を持つことです。

本当の意味において難しいこと

マイケル・ジャクソンが完結した「ムーンウォーク」の表現領域の中にいる人にとっての「バックスライドを表現する上で難しいこと」とは、「絶対的基準」であるマイケルのムーンウォーク(バックスライド)を完全コピーし完全再現することによって「どうすればマイケルに近づけるか」、あるいは、完全コピーをベースに「どうすればマイケルよりも精度の高いバックスライドができるか」です。

一方、マイケル・ジャクソンが完結した「ムーンウォーク」の表現領域の中から抜け出し、まわりの価値観に左右されない「自分の価値観」を持った人にとっての「バックスライドを表現する上で本当の意味において難しいこと」とは、もはやそのような低いレベルではない、ということに気づくことでしょう。

つまり私たちにとって「バックスライドを表現する上で本当の意味において難しいこと」とは、現在ほぼすべての人が共通認識として持っている、マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)が「絶対的基準」である、という価値観に対し、どうすればこれまでの価値観を乗り越え「自分の表現としてのバックスライド」を提示できるか、ということにあるのです。

「乗り越えた」と言える条件

それではマイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)が「絶対的基準」である、というこれまでの「価値観」を乗り越え「自分の表現としてのバックスライド」を提示するためには、どのような条件を達成すれば「乗り越えた」と言えるのでしょうか。

クリエイティブにおける「至上の価値」とは、「新しい」を創り出すことにあります。

そのためシンプルに考えると、いままでに見たこと、体験したことがない「まったく新しいバックスライド」を提示することができれば、マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)が「絶対的基準」である、というこれまでの「価値観」を乗り越えたと言えるでしょう。

しかしながらバックスライドの場合は少し状況が異なります。

というのもバックスライドの場合、「バックスライド」という完全新規の表現がすでに存在し、1983年のマイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)によって一般に広く知られるようになった時代をすでに経験しているからです。

そのためこの方向性でこれまでの「価値観」を乗り越えるには、次の天才的表現者があらわれるのを待たなければならないでしょう。

それでは天才的表現者ではない私たちは、次の天才的表現者があらわれるまでただ待ち続けていなければならないのでしょうか。

それは違います。

なぜなら天才的表現者ではない私たちでも「新しい」を創り出すことはできるからです。

しかしその方向性を見誤り、バックスライドの技術の追求のみによって「新しい」を創り出そうとするといずれ限界を迎えることになるでしょう。

なぜなら歴史がそのことを教えてくれているからです。

これまでマイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)を乗り越えるために先人がおこなってきたことは、マイケルのムーンウォーク(バックスライド)をそのまま完全コピーし、その「技術」に対して追いつき追い越せということでした。

しかしこのやり方には、たとえマイケル・ジャクソンよりも精度の高いムーンウォーク(バックスライド)を身につけて「技術」で追い抜いたとしても、結局はマイケルがたどった道をそのままなぞっただけであり、マイケルの「二番煎じ」にしかならず、乗り越えたことにはならないという限界がありました。

つまり天才的表現者ではない私たちにとって、マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)が「絶対的基準」である、というこれまでの「価値観」を乗り越え「自分の表現としてのバックスライド」を提示するための条件とは、バックスライドの技術の追求によって「新しい」を創り出すことではなく、これまでのバックスライドの技術をすべて体得した上で技術の追求とは別の「クリエイティブな何か」を追求することによって「新しい」を創り出すことであり、その「クリエイティブな何か」を達成することでこれまでの「価値観」を乗り越えたと言えるのです。

すなわちその「クリエイティブな何か」とは、「新しい価値観の世界線を創り出すこと」です。

マイケルの「戦略」

ここで私たちは、マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)についてあらためて認識しておくべきことがあります。

それは、マイケル・ジャクソンはムーンウォークの表現の根幹となる、かかとからつま先にかけて後方へ交互にスライドしながら移動していくバックスライドの表現そのものを0から創り出していない、ということです。

このことは何を意味するのかというと、いまでこそバックスライドが「ムーンウォーク」としてマイケル・ジャクソンの代名詞となっていますが、当時のマイケルには私たちがいま直面している課題と同様にバックスライドをすでに表現しているレジェンドが存在し、この状況からどのようにしてレジェンドを乗り越え、バックスライドを「自分の表現」として確立していけばよいのか、というように、マイケルにも「乗り越えるべき課題」があった、ということです。

それではなぜバックスライドが「ムーンウォーク」としてマイケル・ジャクソンの代名詞となったのでしょうか。

それは、マイケル・ジャクソンが既存のバックスライドを独自の「解釈」によって「ムーンウォーク」と命名すると共に、それを「新しい価値観」として確立し、生涯にわたって「やり続けた」からです。

3つの「戦略」とは

それではマイケル・ジャクソンが自身のムーンウォーク(バックスライド)を確立するためにとった「戦略」とは具体的にはどのようなものだったのでしょうか。

その「戦略」とは次の3つです。

1. 解釈

2. 新しい価値観

3. やり続ける

1. 解釈

1つ目の戦略は、「解釈」です。

1988年に出版された自伝「ムーンウォーク」(※1)でマイケル・ジャクソンは、1983年のムーンウォーク(バックスライド)初披露のために事前に考えていたこととして、Billie Jeanの間奏部分で月の上を歩いているかのように後ろと前へ同時に歩いてみることだったと語っています。

つまりマイケル・ジャクソンは、かかとからつま先にかけて後方へ交互にスライドしながら移動していく「バックスライド」を、月の上を歩いているかのように後ろと前へ同時に歩いていく「ムーンウォーク」であると「解釈」しました。

※1:マイケル・ジャクソン著、田中康夫訳、河出書房新社、2009年。

2. 新しい価値観

2つ目の戦略は、「新しい価値観」です。

1983年のモータウン25(※2)でのムーンウォーク(バックスライド)初披露は、マイケル・ジャクソンが「解釈」したマイケルバージョンのバックスライド、すなわち、月の上を歩いているかのように後ろと前へ同時に歩いていく「ムーンウォーク」を、既存のバックスライドにも既存のムーンウォーク(※3)にも属さない「新しい価値観」として提示した初披露でした。

※2:マイケル・ジャクソンがジャクソン5時代に所属していたレコードレーベル「モータウン」の設立25周年を記念して開催された音楽の祭典。そのハイライトは1983年5月16日に全米でTV放送された。祭典の正式名称は「Motown25: Yesterday, Today, Forever」(モータウン25:昨日、今日、そして永遠に)。

※3:オリジナルムーンウォーク(Original Moonwalk)のこと。エレクトリックブガルーズ(Electric Boogaloos)(※4)のメンバーのティッキン・ウィル(Tickin’ Will)が1975年に考案し、リーダーのブガルー・サム(Boogaloo Sam)(※5)によって発展していったスタイル。ひざをやわらかく使いながら円を描くように体重移動していく表現を利用して、月の上を歩いているかのようにゆっくりと歩いてみせる表現に特徴がある。

※4:ブガルー・サムによって1977年に結成された伝説的ダンスクルー。曲のビートに反応してポーズを形成した直後に身体の各部位を同時に弾いて表現する「ポッピング」(Popping)と、腰・ひざ・頭などの身体のあらゆる部分のロールを自在に使いこなすことによって流動的に表現する「ブガルー」(Boogaloo)の2大ダンススタイルを世に送り出した。なお、結成時の1977年は、エレクトリックブガルーロッカーズ(Electric Boogaloo Lockers)の名称でカリフォルニア州フレズノを本拠地としていたが、1978年にカリフォルニア州ロングビーチへ移転後「エレクトリックブガルーズ」へと改名した。

※5:エレクトリックブガルーズのリーダー。曲のビートに反応してポーズを形成した直後に身体の各部位を同時に弾いて表現する「ポッピング」と、腰・ひざ・頭などの身体のあらゆる部分のロールを自在に使いこなすことによって流動的に表現する「ブガルー」を創り出したオリジネーター(考案者)。マイケル・ジャクソンの作品にはショートフィルム「ゴースト」に出演した。

3. やり続ける

3つ目の戦略は、「やり続ける」です。

モータウン25でのムーンウォーク(バックスライド)初披露のあと、マイケル・ジャクソンはムーンウォーク(バックスライド)の改良を重ねながら生涯にわたって「やり続けた」ことによって、バックスライドが「ムーンウォーク」としてマイケルの代名詞となりました。

マイケルのムーンウォークを乗り越える方法

このように、マイケル・ジャクソンが自身のムーンウォーク(バックスライド)を確立するためにとった3つの「戦略」は、前述の「マイケルを乗り越えた」と言える条件が「新しい価値観の世界線を創り出すこと」と解説したことに通じます。

なぜならこのマイケル・ジャクソンの3つの「戦略」は、当時のマイケルが直面していた「乗り越えるべき課題」に対して、バックスライドの技術の追求によって「新しい」を創り出すことではなく、これまでのバックスライドの技術をすべて体得した上で、「新しい価値観の世界線を創り出すこと」を実践することによって乗り越えていることが読み取れるからです。

つまりこのことは、マイケル・ジャクソンの3つの「戦略」が、裏を返すと私たちがマイケルのムーンウォーク(バックスライド)を乗り越えるための「キーワード」となることを意味している、ということです。

以上を踏まえ、マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)を乗り越える「方法」とその「戦略」をまとめると次のとおりです。

【方法】

新しい価値観の世界線を創り出すこと。

【戦略】

「新しい価値観」としての自分の「解釈」による自分バージョンのバックスライドを提示してそれを「やり続ける」こと。

これを踏まえ、本解説が考えるマイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)を乗り越える方法の「一つの答え」は次のとおりです。

【一つの答え】

マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)と自分のバックスライドを相対比較し、その違いを「客観的根拠」に裏づけられた「説明可能なバックスライド」として提示すること。

7つの疑問

ここで多くの人はいくつかの疑問にぶつかることでしょう。

1. 「新しい価値観の世界線を創り出すこと」とは

1つ目の疑問は、「新しい価値観の世界線を創り出すこと」とは、です。

ここで言う「新しい価値観の世界線を創り出すこと」とは、「バックスライドを見る際の評価基準」をこれまでの「マイケル・ジャクソンに似ているか」だけで判断していた価値観に対し、それとは違う「新しい価値観」として、「表現のルーツ」を重要視して判断する価値観に「新しい価値観」の可能性があることを提示してみせることです。

たとえばマイケル・ジャクソンが完結した「ムーンウォーク」の表現領域の中にいる人が私の表現する次のバックスライドの動画を見ると、「これの何が新しいの!? こんなのダンスやってる人ならできて当たり前なんだけど??」と酷評することでしょう。

なぜならこの領域の中にいる人にとっての「バックスライドを見る際の評価基準」とは、「かっこいい・かっこわるい」、「上手い・下手」、「好き・嫌い」というように、視覚を通して見た表現をそのまま個人の主観的感覚や嗜好(しこう)にもとづく感想として評価する基準だからです。

つまり、現在ほぼすべての人が共通認識として持っている「絶対的価値観」の最上位にマイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)があり、その次にマイケルのムーンウォーク(バックスライド)を完全コピーしてマイケルに限りなく近づけたバックスライドを再現できる人、あるいはマイケルのムーンウォーク(バックスライド)の完全コピーをベースにマイケルよりも精度の高いバックスライドができる人が位置づけられており、その人たちの表現するバックスライドに対しては「かっこいい」、「上手い」、「好き」と評価する反面、「マイケルのムーンウォーク像」のフィルターから外れるバックスライドを表現する人に対しては容赦なく「かっこわるい」、「下手」、「嫌い」と評価する基準となっているからです。

一方、マイケル・ジャクソンが完結した「ムーンウォーク」の表現領域の中から抜け出し、まわりの価値観に左右されない「自分の価値観」を持った人にとっての「バックスライドを見る際の評価基準」とは、その表現の背景にある、バックスライドの歴史を「客観的根拠」とする「表現の要素」を読み取ることによって評価する基準です。

たとえばバックスライドの「歩幅」が自分の足のサイズの1倍前後であることから1996年のマイケル・ジャクソンのヒストリーツアーの影響を受けたスタイル、「前傾姿勢の角度」が15°であることから1987年のマイケルのバッドツアーの影響を受けたスタイル、「つま先を立てる角度」がマイケルの左右別々に表現するタイプに対して両足へ「つま先の角度固定」タイプであることから表現者独自のスタイル、というように、バックスライドの表現を構成するそれぞれの「表現の要素」が、バックスライドの歴史のどの部分からインスピレーションを受けている表現であるのかを読み取ることによって評価します。

つまり「新しい価値観の世界線を創り出すこと」とは、「バックスライドを見る際の評価基準」をこれまでの「マイケル・ジャクソンに似ているか」だけで判断していた価値観に対し、それとは違う「新しい価値観」として、このバックスライドは「どういうところからインスピレーションを受けているのか」という「表現のルーツ」を重要視して判断する価値観に「新しい価値観」の可能性があることを提示してみせることです。

2. 「説明可能なバックスライド」を提示するとは

2つ目の疑問は、「説明可能なバックスライド」を提示するとは、です。

それは、現在の「絶対的基準」となっているマイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)に対し、マイケルはこのように表現しているが「自分の解釈による表現」はこうである、というように、マイケルのムーンウォーク(バックスライド)と自分のバックスライドを相対比較することによって、その違いを「説明可能なバックスライド」として提示することです。

3. なぜ相対比較して説明する必要があるのか

3つ目の疑問は、なぜ相対比較して説明する必要があるのか、です。

それは、「自分の解釈による自分バージョンのバックスライド」を提示することが、バックスライドを「かっこいい・かっこわるい」、「上手い・下手」、「好き・嫌い」といった、個人の主観的感覚や嗜好(しこう)の類いのレベルとしてではなく、「客観的根拠」に裏づけられた表現として提示することであるからです。

4. 「客観的根拠」とは

4つ目の疑問は、「客観的根拠」とは、です。

それは、その道の「歴史」のことです。

なぜその道の歴史が「客観的根拠」となるのかというと、ダンスに限らずどの分野の表現も、その道の歴史の、先行する既存の表現から「表現の要素」を抽出し再構築することによって、表現が「表現」として成立しているからです。

たとえばマイケル・ジャクソンの「月の上を歩いているかのように後ろと前へ同時に歩いていくムーンウォーク」の表現の場合、先行するジェフリー・ダニエル(Jeffrey Daniel)(※6)とブガルー・シュリンプ(Boogaloo Shrimp)(※7)のそれぞれの既存のバックスライドの表現からおもに「表現の要素」を抽出し再構築することによって、マイケルの解釈によるマイケルバージョンのバックスライド(ムーンウォーク)が「表現」として成立していることが読み取れます。

つまりマイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)の表現には、その道の歴史から「表現の要素」を抽出し再構築していることが「客観的根拠」に裏づけられた表現として読み取れることによって、その表現がクリーピン・シッド(Creepin Sid)(※8)、ジェフリー・ダニエル、ブガルー・シュリンプと続くバックスライドの歴史の文脈とつながりを持った表現として成立しており、なおかつ先行するこれらの表現を「乗り越えた表現」として提示していることがわかるのです。

※6:マイケル・ジャクソンがムーンウォーク(バックスライド)を自分の表現として確立していく過程において影響を受けた2人のレジェンドのうちの一人。1980年にマイケルへバックスライドを教えたことをきっかけに、のちに1987年公開のショートフィルム「Bad」や1988年公開の映画「ムーンウォーカー」のSmooth Criminalのコレオグラファー兼ダンサーとしてマイケルの仕事にたずさわり、Badでは地下鉄構内のシーン、Smooth Criminalでは、身体を前傾する通称「ゼログラビティ」から回転ムーンウォークへ展開するシーンでマイケルの脇を固める4人のダンサーの一人として出演した。

※7:マイケル・ジャクソンがムーンウォーク(バックスライド)を自分の表現として確立していく過程において影響を受けた2人のレジェンドのうちのもう一人のレジェンド。1983年から1991年までマイケルのソロパートのアドバイザー(パーソナルポッピングインストラクター)として、1984年のジャクソンズヴィクトリーツアー以降のBillie Jean終盤の間奏部分のダンスパートをはじめ、ムーンウォーク(バックスライド)を含む一連のパフォーマンスを完成度の高いレベルまで引き上げる仕事にたずさわった。

※8:ストリートダンスの歴史において1978年に全米のTV放送ではじめてバックスライドを披露したレジェンド。エレクトリックブガルーズのメンバー。代表的な表現には、前述のかかとからつま先にかけて後方へ交互にスライドしながら移動していく「バックスライド」や、バックスライドの逆バージョンとして、つま先からかかとにかけて前方へ交互にスライドしながら移動していく「フロントスライド」、左右の足を横方向へ交互にスライドしながら移動していく「サイドスライド」、そして自身のダンサーネームの由来となっている、その場にとどまりながらゆっくりとバックスライドしているようにみせる「クリーピング」がある。なお、かかとからつま先にかけて後方へ交互にスライドしながら移動していくバックスライドの表現は、タップダンスの分野でビル・ベイリー(Bill Bailey)が1943年公開の映画「Cabin In The Sky」でバックスライドを披露しているのが一番古いとされている(※参照:YouTube)。エレクトリックブガルーズバージョンのバックスライドはメンバーのティッキン・ウィル(Tickin’ Will)が1975年に考案し、後年その動きを見て学んだクリーピン・シッドが「より滑らかで、より長い距離のバックスライド」の表現へと改良した。

5. 読み取り方がわからない

5つ目の疑問は、読み取り方がわからない、です。

具体的には、バックスライドを表現する「表現者の立場」としてマイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)を乗り越える方法については理解できたが、バックスライドを見る「オーディエンスの立場」としては、その表現の背景にある、バックスライドの歴史を「客観的根拠」とする「表現の要素」を読み取ることによって評価する、と言われても、実際のところその読み取り方がわからない、という疑問です。

それは「表現を鑑賞する基本」をおさえていれば難しいことはありません。

その「表現を鑑賞する基本」とは、「表現のルーツを読み取ること」です。

ダンスに限らずどの分野の表現も、表現が「表現」として成立するためには条件があります。

それは、表現の中に「その道の歴史の、先行する既存の表現からの引用」を連想させるいくつもの「表現の要素」がちりばめられていることです。

そのため表現する側も表現を鑑賞する側も、その道の歴史が「共通言語」となっています。

これを踏まえ「表現を鑑賞する基本」とは、「この表現はその道の歴史のどの部分からインスピレーションを受けているのか」を考えながら、表現が「表現」として成立している「表現の要素」、すなわち「表現のルーツ」を読み取ることです。

これにともない、自分が読み取った「表現のルーツ」の結果にこだわる人もいるかもしれませんが、間違っている、間違っていないは重要ではありません。

なぜなら「表現に答えはない」からです。

ある人は、表現者の意図を超えたところから「表現のルーツ」を読み取る人もいることでしょう。

またある人は、時間をおいて同じ表現を見た時に、前回よりも「表現のルーツ」を読み取る数が多くなっている人もいることでしょう。

その一方で、従来の「かっこいい・かっこわるい」、「上手い・下手」、「好き・嫌い」といった、個人の主観的感覚や嗜好(しこう)にもとづく感想として評価することに慣れすぎてしまった人にとっては、この「表現を鑑賞する基本」を「難しい」と感じてしまう人もいることでしょう。

大事なことは、「この表現はその道の歴史のどの部分からインスピレーションを受けているのか」について興味を持つことです。

6. どうやって評価すればよいかわからない

6つ目の疑問は、どうやって評価すればよいかわからない、です。

それは、オリジナリティーがあるかないかによって評価します。

ここで言う「オリジナリティー」とは、表現の中に「その道の歴史の、先行する既存の表現からの引用」を連想させるいくつもの「表現の要素」が「表現のルーツ」として読み取れるように設計された「表現者の解釈による表現者バージョンの表現」のことです。

多くの人は、表現者が自由に解釈し、内側からわき上がってくる情熱を、感性のおもむくままに自由に表現したものが「表現者の解釈による表現者バージョンの表現」であり「オリジナリティー」であると考えています。

しかし、表現の中に「その道の歴史の、先行する既存の表現からの引用」を連想させるいくつもの「表現の要素」が「表現のルーツ」として読み取れないものは「説明のつかない表現」でしかないのです。

なぜなら「客観的根拠」の裏づけがないからです。

それでは現在多くの人が「評価」として使っている、「かっこいい・かっこわるい」、「上手い・下手」、「好き・嫌い」といった評価方法はどうでしょうか。

多くの人がこの評価方法を使っている理由は、表現に対して感じたことを直感的に意思表明できるメリットがあるからです。

しかしその反面、デメリットとして多くの人が気づいていない「あること」があります。

それは、その「評価」が実を言うと評価ではなく、「個人の主観的感覚や嗜好(しこう)にもとづく感想でしかない」ということです。

つまりここで大事なことは、評価には主観的感覚や感想ではなく「客観的根拠」が必要、ということです。

そこでそのことを理解している人は、その道の歴史を「客観的根拠」として読み取り、その表現が「その道の歴史を踏まえた表現」かそうでないかを判断することによって評価しています。

なぜなら表現は、その道の歴史の、先行する既存の表現から「表現の要素」を抽出し再構築することによって設計されているからです。

たとえばバックスライドの場合、「歩幅」が自分の足のサイズの1倍前後であることから1996年のマイケル・ジャクソンのヒストリーツアーの影響を受けたスタイル、「前傾姿勢の角度」が15°であることから1987年のマイケルのバッドツアーの影響を受けたスタイル、「つま先を立てる角度」がマイケルの左右別々に表現するタイプに対して両足へ「つま先の角度固定」タイプであることから表現者独自のスタイル、というようにです。

まとめると、オリジナリティーがあるかないかの評価基準とは、表現の中に「客観的根拠」の裏づけとなる「表現の要素」が「表現のルーツ」として読み取れるように設計されてあり、「表現の要素」を抽出し再構築することによって「表現者の解釈による表現者バージョンの表現」となっているか、です。

7. 「説明可能なバックスライド」はバックスライドではない

7つ目の疑問は、「説明可能なバックスライド」はバックスライドではない、です。

それは、それも一理ある、が本解説の見解です。

この疑問は表現者個人の「価値観」の違いであり、本解説の提示する答えだけが、マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)が「絶対的基準」である、というこれまでの「価値観」を乗り越え「自分の表現としてのバックスライド」を提示する唯一の答えではないことを本解説でも承知しています。

そのため、従来どおり言葉による説明の制約を受けずに、自分の感性のおもむくままに自由に表現することによって「自分の解釈する新しい価値観のバックスライド」を追求していきたいと考えるのであれば、表現者個人の「価値観の選択の自由」においてその方向性を選択するのもよいでしょう。

また、言葉で言いあらわすことができないものを身体を介して表現することがダンスであり、「ダンスに言葉による説明など必要ない」と考えるのであれば、それも表現者個人の「価値観の選択の自由」においてその方向性でバックスライドの表現を追求していくのもよいでしょう。

つまりこのことは何を意味しているのかというと、「説明可能なバックスライド」はバックスライドではない、が表現者個人の「価値観の選択の自由」において一理あるのであれば、それと同様に、「説明可能なバックスライド」もバックスライドである、も表現者個人の「価値観の選択の自由」において一理あると言える、ということです。

むしろ誰もやっていない「説明可能なバックスライド」は、バックスライドの新しい価値観の可能性を提示した、私を起源とするオリジナルスタイルと言えるでしょう。

「説明可能なバックスライド」とその読み取り方

以上を踏まえ、ここからは実際に「説明可能なバックスライド」について解説していきます。

まずはあらためて、私の表現するバックスライドの動画をご覧ください。

読み取るポイント

この動画のどこに「説明可能なバックスライド」を読み取るポイントがあるのでしょうか。

そのおもなポイントは次のとおりです。

1. 表現コンセプトの違い

2. 視覚効果の違い

①歩幅、②前傾姿勢の角度、③つま先を立てる角度、④バックスライドスピード

1. 表現コンセプトの違い

「表現コンセプト」とは、たとえばバックスライドとマイケル・ジャクソンの「ムーンウォーク」の違いが、前者が「足元に限定した表現」であるのに対し、後者が足元だけではなく身体全体を一つの「表現」としているところに違いがあるように、「表現そのものを決定づける骨格となる思想」のことです。

マイケルの場合

前述のとおり、1988年に出版された自伝「ムーンウォーク」でマイケル・ジャクソンは、1983年のムーンウォーク(バックスライド)初披露のために事前に考えていたこととして、Billie Jeanの間奏部分で月の上を歩いているかのように後ろと前へ同時に歩いてみることだったと語っています。

つまりマイケル・ジャクソンは、月の上を歩いているかのように後ろと前へ同時に歩いていくマイケルバージョンのバックスライド、すなわち「前に進んでいるようで後ろへ進んでいくバックスライド」を自身のムーンウォーク(バックスライド)の表現コンセプトとしています。

私の場合

これに対しこの動画で私が表現しているバックスライドは、「メカニカルに後方へ進んでいくバックスライド」を表現コンセプトとしています。

2. 視覚効果の違い①:歩幅

「視覚効果」とは、「言葉で定義した表現コンセプトを表現者の解釈によって具体的にダンスへと可視化した表現」のことです。

これを踏まえ、「視覚効果の違い」の1点目の「歩幅」の違いから解説していきます。

マイケルの場合

マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)のおもな歩幅は、自分の足のサイズの「1〜1.5倍」で、最終的に採用した歩幅は「1倍」です。

具体的には、1984年のジャクソンズヴィクトリーツアー以降「歩幅を大きく取りながらバックスライドする表現」を追求し1992年のデンジャラスツアーで一つの完成形に到達した時の歩幅が、自分の足のサイズの「1.5倍」で、1983年のモータウン25以来、自身のムーンウォーク(バックスライド)の表現コンセプトとして追求してきた「月の上を歩いているかのように後ろと前へ同時に歩いていくムーンウォーク」、すなわち「前に進んでいるようで後ろへ進んでいくバックスライド」を1996年のヒストリーツアーで完成した時の歩幅が、自分の足のサイズの「1倍」です。

私の場合

これに対し、この動画で私が表現しているバックスライドのおもな歩幅は、自分の足のサイズの「0.8~1.4倍」です。

私のバックスライドの動画では、マイケル・ジャクソンがムーンウォーク(バックスライド)の完成に到達した1996年のヒストリーツアーの歩幅の「1倍」という数値にリスペクトの意味を込めて、自分の足のサイズの「1倍」を推移するように表現しています。

2. 視覚効果の違い②:前傾姿勢の角度

「視覚効果の違い」の2点目は、「前傾姿勢の角度」の違いです。

※本解説における「前傾角度」とは、「直立姿勢を0°として、その姿勢から前傾した時に生じる角度」のことです。

マイケルの場合

マイケル・ジャクソンの「前傾姿勢の角度」は80年代と90年代で異なっており、そのおもな前傾角度は1987年のバッドツアーの「前傾角度15°」と、1992年のデンジャラスツアー以降の「前傾角度10°」で、最終的に採用した前傾姿勢の角度は「10°」です。

私の場合

これに対し、この動画で私が表現している「前傾姿勢の角度」は、1987年のバッドツアーの「前傾角度15°」を採用しています。

2. 視覚効果の違い③:つま先を立てる角度

「視覚効果の違い」の3点目は、「つま先を立てる角度」の違いです。

「つま先を立てる角度」の使い方には、表現者によって次のAとBの2つのタイプがあります。

A. 「つま先の角度固定」タイプ

「つま先を立てた方の足」の「つま先を立てる角度」を自分の可動範囲の半分以上の高さまで上げて固定し、その状態から「つま先を立てていない方の足」をバックスライドする。

B. 「つま先の2段角度」タイプ

「つま先を立てた方の足」の「つま先を立てる角度」を自分の可動範囲の半分まで上げ、「つま先を立てていない方の足」をバックスライドしている時に「つま先を立てる角度」をさらに最高角度の90°近くまで上げる。

マイケルの場合

これを踏まえ、マイケル・ジャクソンは左足をAの「つま先の角度固定」タイプ、右足をBの「つま先の2段角度」タイプと、「つま先を立てる角度」の使い方を左右別々に表現しています。

前述のとおりマイケル・ジャクソンは、かかとからつま先にかけて後方へ交互にスライドしながら移動していく「バックスライド」を、月の上を歩いているかのように後ろと前へ同時に歩いていく「ムーンウォーク」であると「解釈」しました。

つまりマイケル・ジャクソンが自身の「ムーンウォーク」の表現で実現したかったことは、後ろに進む表現だけではなく「後ろと前へ同時に歩いていく」、すなわち「前に進んでいるようで後ろに進んでいくバックスライド」を求めていたことです。

そしてこの「前に進んでいるようで後ろに進んでいくバックスライド」を実現するためにマイケル・ジャクソンが実践している表現が、「つま先を立てる角度」の使い方を左右別々に表現する、という表現です。

以上のことからマイケル・ジャクソンは、視覚効果として「月の上を歩いているかのように後ろと前へ同時に歩いていくムーンウォーク」を表現するために、左足を「つま先の角度固定」タイプ、右足を「つま先の2段角度」タイプとすることで、左足は「後ろに進んでいく表現」、右足は「前に進んでいるようで後ろに進んでいく表現」と、それぞれの役割を使い分けて表現しています。

私の場合

これに対し、この動画で私が表現している「つま先を立てる角度」の使い方は、両足へ「つま先の角度固定」タイプを採用しています。

バックスライド時に「つま先を立てた方の足」の「つま先を立てる角度」を自分の可動範囲の半分以上の高さまで上げて固定し、その状態から「つま先を立てていない方の足」をバックスライドしている時もそれ以上角度を上げずに固定するという使い方です。

この「つま先の角度固定」タイプを採用している理由は、私の表現するバックスライドの「表現コンセプト」である「メカニカルに後方へ進んでいくバックスライド」を視覚効果として表現しているからです。

「つま先の角度固定」は、バックスライドのタイムラインに沿ってリアルタイムで後方へ移動していく動きの中で「唯一動きを止める箇所」であり、動と静の制御のコントラストを意識的におこなうことで「メカニカルに後方へ進んでいくバックスライド」を表現しています。

2. 視覚効果の違い④:バックスライドスピード

「視覚効果の違い」の4点目は、「バックスライドスピード」の違いです。

マイケルの場合

マイケル・ジャクソンのバックスライドスピードは、おもに1984年のジャクソンズヴィクトリーツアー以降1987年のバッドツアーを経て1992年のデンジャラスツアーまで採用した「スピード感を重視したバックスライドの演出」と、1983年のモータウン25へ原点回帰した1996年のヒストリーツアーの「ゆっくりとした速度のバックスライドの演出」の2つの表現があり、最終的に採用したバックスライドスピードは後者の「ゆっくりとした速度のバックスライドの演出」です。

私の場合

これに対し、この動画で私が表現しているバックスライドスピードは、マイケル・ジャクソンが1984年のジャクソンズヴィクトリーツアー以降1987年のバッドツアーを経て1992年のデンジャラスツアーまで採用した「スピード感を重視したバックスライドの演出」を採用して表現しています。

「新しい価値観」として見るバックスライド

以上を踏まえ、ここでもう一度、私の表現するバックスライドの動画を見てみましょう。

このバックスライドがこれまでの「マイケル・ジャクソンに似ているか」だけで判断していた価値観に対し、それとは違う「新しい価値観」として、「表現のルーツ」を重要視して判断する価値観に「新しい価値観」の可能性があることを提示してみせた「私の解釈による私バージョンのバックスライド」ということが見えてきたのではないでしょうか。

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マイケルの「ムーンウォーク」を乗り越える方法

今回はマイケル・ジャクソンの各種ムーンウォークを乗り越えるための第一歩として「バックスライド」を例に解説しましたが、この方法によってマイケル・ジャクソンが確立したすべての「ムーンウォーク」の表現領域を乗り越えることができます。

具体的には、マイケル・ジャクソンが確立したマイケルバージョンの「ムーンウォーク」の表現領域に対し、自分バージョンの「ムーンウォーク」の表現領域を新規で立ち上げます。

そしてその中にあるバックスライド、サイドウォークなど、マイケル・ジャクソンが確立したマイケルバージョンの各種ムーンウォークと相対化した、それとは別の新しい価値観としての「自分の解釈による自分バージョンの各種ムーンウォーク」を一つ一つ確立していけばよいのです。

そうすることによって、先行するマイケルの確立したマイケルバージョンの各種ムーンウォークの表現に対して「自分の解釈による自分バージョンの各種ムーンウォーク」へとアップデートしたことになるため、結果としてマイケルが確立したすべての「ムーンウォーク」の表現領域を乗り越えたことになるのです。

それではまた次のコンテンツでお会いしましょう。

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