マイケル・ジャクソン|ムーンウォークの何が「すごい」のか
多くの人にとって「ムーンウォーク」のことで知りたい情報とは、マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)のしくみ、やり方、技術に関する「すぐに役立つテクニック」です。
この「すぐに役立つテクニック」を多くの人が追い求めた結果、いわゆる「上手い」と言われる人は増えましたが、それと共に、ムーンウォーク(バックスライド)が「ハウツー」として片づけられ、本質的な「あること」を忘れてしまった人も増えました。
その本質的な「あること」とは、ムーンウォーク(バックスライド)が「表現」である、ということです。
ムーンウォーク(バックスライド)は、マイケル・ジャクソンが自身の革新的ダンスを確立するためにもっとも重要なダンスと位置づけ、ここぞという見せ場の武器としていた「表現」です。
この重要なポイントをおさえない限り、マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)の何が「すごい」のかについて理解することはできないでしょう。
3つの「すごい」点
本解説が考える、マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)の「すごい」点とは、次の3つです。
1. 表現コンセプト
2. 戦略
3. 表現
これを踏まえ、マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)の「すごい」点について全3回にわたり解説していくシリーズ第1回目の今回は、1の「表現コンセプト」にスポットを当て、マイケルの「表現コンセプト」の何が「すごい」のかについて詳しく解説していきたいと思います。
表現コンセプト
「表現コンセプト」とは、たとえばバックスライドとマイケル・ジャクソンの「ムーンウォーク」の違いが、前者が「足元に限定した表現」であるのに対し、後者が足元だけではなく身体全体を一つの「表現」としているところに違いがあるように、「表現そのものを決定づける骨格となる思想」のことです。
乗り越えるべき課題
マイケル・ジャクソンが1983年にモータウン25(※1)で初披露したことによって「ムーンウォーク」として一般に広く知られるようになったこのスタイルは、もともとは「バックスライド」という名称として、1970年代後期よりウエストコースト(西海岸)のストリートダンサーから広まっていったスタイルです。
エレクトリックブガルーズ(Electric Boogaloos)(※2)のクリーピン・シッド(Creepin Sid)(※3)が、1978年11月に音楽番組「Midnight Special」でバックスライドを披露したのが全米でTV放送されたはじめてのバックスライドでした(※4)。
このことは何を意味しているのかというと、マイケル・ジャクソンはムーンウォークの表現の根幹となる、かかとからつま先にかけて後方へ交互にスライドしながら移動していくバックスライドの表現そのものを0から創り出していない、ということを意味しています。
つまり、当時のマイケル・ジャクソンには私たちがいま直面している課題と同様にバックスライドをすでに表現しているレジェンドが存在し、この状況からどのようにしてレジェンドを乗り越え、バックスライドを「自分の表現」として確立していけばよいのか、というように、マイケルにも「乗り越えるべき課題」があった、ということです。
※1:マイケル・ジャクソンがジャクソン5時代に所属していたレコードレーベル「モータウン」の設立25周年を記念して開催された音楽の祭典。そのハイライトは1983年5月16日に全米でTV放送された。祭典の正式名称は「Motown25: Yesterday, Today, Forever」(モータウン25:昨日、今日、そして永遠に)。
※2:ブガルー・サム(Boogaloo Sam)(※5)によって1977年に結成された伝説的ダンスクルー。曲のビートに反応してポーズを形成した直後に身体の各部位を同時に弾いて表現する「ポッピング」(Popping)と、腰・ひざ・頭などの身体のあらゆる部分のロールを自在に使いこなすことによって流動的に表現する「ブガルー」(Boogaloo)の2大ダンススタイルを世に送り出した。なお、結成時の1977年は、エレクトリックブガルーロッカーズ(Electric Boogaloo Lockers)の名称でカリフォルニア州フレズノを本拠地としていたが、1978年にカリフォルニア州ロングビーチへ移転後「エレクトリックブガルーズ」へと改名した。
※3:ストリートダンスの歴史において1978年に全米のTV放送ではじめてバックスライドを披露したレジェンド。代表的な表現には、前述のかかとからつま先にかけて後方へ交互にスライドしながら移動していく「バックスライド」や、バックスライドの逆バージョンとして、つま先からかかとにかけて前方へ交互にスライドしながら移動していく「フロントスライド」、左右の足を横方向へ交互にスライドしながら移動していく「サイドスライド」、そして自身のダンサーネームの由来となっている、その場にとどまりながらゆっくりとバックスライドしているようにみせる「クリーピング」がある。なお、エレクトリックブガルーズバージョンのバックスライドはメンバーのティッキン・ウィル(Tickin’ Will)が1975年に考案し、後年その動きを見て学んだクリーピン・シッドが「より滑らかで、より長い距離のバックスライド」の表現へと改良した。
※4:かかとからつま先にかけて後方へ交互にスライドしながら移動していくバックスライドの表現は、タップダンスの分野でビル・ベイリー(Bill Bailey)が1943年公開の映画「Cabin In The Sky」でバックスライドを披露しているのが一番古いとされている(※参照:YouTube)。
※5:エレクトリックブガルーズのリーダー。曲のビートに反応してポーズを形成した直後に身体の各部位を同時に弾いて表現する「ポッピング」と、腰・ひざ・頭などの身体のあらゆる部分のロールを自在に使いこなすことによって流動的に表現する「ブガルー」を創り出したオリジネーター(考案者)。マイケル・ジャクソンの作品にはショートフィルム「ゴースト」に出演した。
マイケルの構想
当時マイケル・ジャクソンが自身のムーンウォーク(バックスライド)を確立するために構想していたことは、ストリートダンサーの間で流行りつつあった、かかとからつま先にかけて後方へ交互にスライドしながら移動していくバックスライドを完全コピーして完全再現するのではなく、既存のバックスライドとは違う「新しい価値観」としての新しいバックスライドをクリエイトする(創り出す)ことでした。
この新しいバックスライドをクリエイトするにあたりマイケル・ジャクソンがイメージしていた表現コンセプトは、月の上を歩いているかのように後ろと前へ同時に歩いてみることです(※6)。
これを実現するためにマイケル・ジャクソンが試行錯誤していたことは、既存のバックスライドの表現コンセプトを理解した上で、マイケルの解釈による、月の上を歩いているかのように後ろと前へ同時に歩いていくマイケルバージョンのバックスライド、すなわち「前に進んでいるようで後ろへ進んでいくバックスライド」を実感することでした。
※6:自伝「ムーンウォーク」(※7)でマイケル・ジャクソンは、1983年のムーンウォーク(バックスライド)初披露のために事前に考えていたこととして、Billie Jeanの間奏部分で月の上を歩いているかのようの後ろと前へ同時に歩いてみることだったと語っている。
※7:マイケル・ジャクソン著、田中康夫訳、河出書房新社、2009年。
「すごい」点
以上を踏まえ、今回の解説の本題である、マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)の「表現コンセプト」の「すごい」点とは、マイケルが既存のバックスライドの表現コンセプトを理解した上で、それとは違うマイケルオリジナルの表現コンセプトとして「ムーンウォーク」を創造的発想力によって立案し、それをアイデアだけにとどまらず実際に「可視化した表現」として実現してみせたことです。
前述のとおり、マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)の表現コンセプトとは、月の上を歩いているかのように後ろと前へ同時に歩いていくバックスライド、すなわち「前に進んでいるようで後ろへ進んでいくバックスライド」の表現、です。
これに対しバックスライドの表現コンセプトとは、動く歩道のように自動的に床が後方へ移動していくエスカレーターの上で人が前に進んで歩いているような表現で、人がそのエスカレーターの上で前に進んで歩き続けている時に常に床が後方へ移動し続けているためその人を連れ戻すような表現、です。
より理解を深めるために
マイケル・ジャクソンが既存のバックスライドとは違う、新しいマイケルバージョンのバックスライドをクリエイトしていく過程についての解説は、「誰が本当の意味でマイケルにムーンウォークを教え、そして授けたのか」で詳しく解説しています。
次回について
以上がマイケル・ジャクソンの「表現コンセプト」の何が「すごい」のかについての解説でした。
重要なことですので繰り返しますが、「ムーンウォーク」はマイケル・ジャクソンが既存のバックスライドとは違う、新しいマイケルバージョンのバックスライドとしてクリエイトした「表現」です。
その表現は、マイケル・ジャクソンが考案した表現コンセプトの、月の上を歩いているかのように後ろと前へ同時に歩いていくバックスライド、すなわち「前に進んでいるようで後ろへ進んでいくバックスライド」を表現することによって「ムーンウォーク」となります。
またバックスライドも、前述の表現コンセプトを表現することによって「バックスライド」となります。
つまり、ほとんどの人はこれらの表現コンセプトを理解しないまま上辺だけをなぞった「ムーンウォーク」でも「バックスライド」でもない芸をやっているだけなのです。
第2回|戦略
マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)の「すごい」点について全3回にわたり解説していくシリーズ第2回目の次回は、2の「戦略」にスポットを当て、マイケルが自身のムーンウォーク(バックスライド)を確立するためにとった戦略の何が「すごい」のかについて詳しく解説していきたいと思います。
それではまた次のコンテンツでお会いしましょう。
おすすめコンテンツ
あわせてチェックしたい「おすすめコンテンツ」です。
ムーンウォーク動画
各種ムーンウォークの動画をYouTubeで公開しています。
バックスライド
ムーンウォーク(バックスライド)のしくみから表現のポイントまでを全10回シリーズで解説しています。
サイドウォーク
サイドウォークの基本とアニメーションダンスの要素を取り入れた応用について解説しています。
その場ムーンウォーク
「その場ムーンウォーク」の基本と表現の応用について解説しています。
回転ムーンウォーク
回転ムーンウォークを習得する上でおさえておきたい主要6種類の表現について解説しています。
ムーンウォークの凄さ
マイケル・ジャクソンの「ムーンウォーク」の何が「すごい」のかについて解説しています。
マイケルを乗り越える
マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)を乗り越えるための考察と方法について全5回シリーズで解説しています。
アニメーションダンス
「5つの事例」をもとにマイケル・ジャクソンが影響を受けた「アニメーション」の表現について解説しています。