誰がマイケル・ジャクソンにムーンウォークを教えたのか

マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)を乗り越えるための考察を全5回にわたり解説していくシリーズの第1回目です。
マイケル・ジャクソンのムーンウォークを乗り越える方法
マイケル・ジャクソンのムーンウォークを乗り越えるための考察と方法を全5回シリーズで解説します。
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誰がマイケルにムーンウォークを教えたのか

マイケル・ジャクソンへムーンウォーク(バックスライド)を教えた人物が誰なのかは諸説ありますが、マイケル本人は1988年に出版された自伝「ムーンウォーク」(※1)において、ムーンウォーク(バックスライド)を教えてくれたのは3人の子供たちで、彼らから基本を授かったとしか語っておらず、誰からムーンウォーク(バックスライド)を教わったのかは明らかにしないままこの世を去りました。

一般的にはマイケル・ジャクソンへムーンウォーク(バックスライド)を教えたのはジェフリー・ダニエル(Jeffrey Daniel)であるとされています。

しかし、本当の意味でマイケル・ジャクソンへ「ムーンウォーク(バックスライド)を授けた」のはブガルー・シュリンプ(Boogaloo Shrimp)である、というのが本解説の見解です。

そこで今回は、マイケル・ジャクソンが自身のムーンウォーク(バックスライド)の表現を確立していく過程において影響を受けたジェフリー・ダニエルとブガルー・シュリンプの2人のレジェンドにスポットを当て、マイケルがムーンウォーク(バックスライド)を初披露した1983年のモータウン25(※2)の前後に、マイケルのまわりで何がおきていたのかを時系列で見ていく事によって、「誰がマイケルにムーンウォーク(バックスライド)を教え、マイケルへ本当の意味でムーンウォーク(バックスライド)を授けたのは誰だったのか」について詳しく解説していきたいと思います。

※1:マイケル・ジャクソン著、田中康夫訳、河出書房新社、2009年。

※2:マイケル・ジャクソンがジャクソン5時代に所属していたレコードレーベル「モータウン」の設立25周年を記念して開催された音楽の祭典。そのハイライトは1983年5月16日に全米でTV放送された。祭典の正式名称は「Motown25: Yesterday, Today, Forever」(モータウン25:昨日、今日、そして永遠に)。

モータウン25の前

「ムーンウォーク」の名称で知られているバックスライドは、1970年代後期よりウエストコースト(西海岸)のストリートダンサーから広まっていったスタイルです。

エレクトリックブガルーズ(Electric Boogaloos)のクリーピン・シッド(Creepin Sid)(※3)が1978年11月に音楽番組「Midnight Special」へ出演した際にバックスライドを披露したのが全米でTV放送されたはじめてのバックスライドでした(※4)。

※3:ストリートダンスの歴史において1978年に全米のTV放送ではじめてバックスライドを披露したレジェンド。代表的な表現には、前述のかかとからつま先にかけて後方へ交互にスライドしながら移動していくバックスライドや、バックスライドの逆バージョンとして、つま先からかかとにかけて前方へ交互にスライドしながら移動していくフロントスライド、左右の足を横方向へ交互にスライドしながら移動していくサイドスライドがある。

※4:かかとからつま先にかけて後方へ交互にスライドしながら移動していくバックスライドの表現は、タップダンスの分野でビル・ベイリー(Bill Bailey)が1943年公開の映画「Cabin In The Sky」でバックスライドを披露しているのが一番古いとされている。

エレクトリックブガルーズとは

エレクトリックブガルーズはブガルー・サム(Boogaloo Sam)によって1977年に結成され、ポッピンスタイル(※5)とブガルースタイル(※6)を世に送り出した、いまとなってはこれ以上説明の必要がないほどの伝説的ダンスクルーです。

1978年当時のエレクトリックブガルーズはまだ駆け出し中のダンスクルーでしたが、前述のTV出演を皮切りに地元の新聞にも取り上げられるなどメディアでの知名度を上げていき、本拠地のカリフォルニア州ロングビーチを中心としたウエストコースト(西海岸)のストリートダンサーの間で影響が広まっていきます。

そしてその影響を受けたダンサーの中にジェフリー・ダニエルがいました。

※5:曲のビートに反応してポーズを形成した直後に身体の各部位を同時に弾いて表現するスタイル。

※6:腰・ひざ・頭などの身体のあらゆる部分のロールを自在に使いこなす事によって流動的に表現するスタイル。

マイケルとジェフリー・ダニエルとの接点

ジェフリー・ダニエルは1980年にマイケル・ジャクソンへバックスライドを教えた事をきっかけに、のちにBadやSmooth Criminalのコレオグラファー兼ダンサーとしてマイケルの仕事にたずさわり、Badのショートフィルムでは地下鉄構内でのシーン、1988年公開の映画「ムーンウォーカー」のSmooth Criminalでは、身体を前傾する通称「ゼログラビティ」のシーンでマイケルの脇を固めるダンサーの一人として出演しています。

そのジェフリー・ダニエルのキャリアのスタートは、当時全米で最先端のストリートダンスを発信していた音楽番組「ソウルトレイン」のバックアップダンサーでした。

1979年、ジェフリー・ダニエルは、キャスパー・キャ二デイト(Casper Canidate)とクーリー・ジャクソン(Cooley Jaxson)と共にダンスクルー「Jeffrey Daniel & The Eclipse」を結成し、ソウルトレインでバックスライドを披露します。

一方、自身もソウルトレインにジャクソン5の頃から出演していたマイケル・ジャクソンはこの番組をよく見ており、当然ジェフリー・ダニエルが出演した回も見ていました。

そしてジェフリー・ダニエルがソウルトレインで披露したバックスライドに刺激を受けたマイケル・ジャクソンは、関係者を通じてジェフリー・ダニエルを探します。

やがてジェフリー・ダニエルが所属していたシャラマー(Shalamar)がディズニーランドでショーをおこなっている事を突き止めると、マイケル・ジャクソン自らジェフリー・ダニエルの元を訪れ彼と直接コンタクトを取ります。

これがきっかけとなり、1980年にジェフリー・ダニエルはキャスパー・キャ二デイトたちと共にマイケル・ジャクソンへバックスライドを教える事となるのでした。

マイケルとブガルー・シュリンプとの接点

時を同じくして、ある日車で移動していたマイケル・ジャクソンは、ふと車窓から外を眺めた時に、3人のストリートダンサーの子供たちがバックスライドしている光景を見かけます。

このバックスライドに強烈なインスピレーションを受けたマイケル・ジャクソンは、その子供たちがおこなっていたバックスライドを脳裏に焼き付け、帰宅直後に一人ムーンウォーク(バックスライド)の練習に没頭したのでした。

自伝「ムーンウォーク」でマイケル・ジャクソンが自身のムーンウォーク(バックスライド)のルーツを3人の子供たちから授かったと語っているのは、マイケルが過去にインタビューで語ったこの逸話に由来しています。

そして、マイケル・ジャクソンは明らかにしていませんが、この逸話に登場するマイケルが強烈なインスピレーションを受けた「3人の子供たち」の中にはブガルー・シュリンプがいました。

モータウン25のムーンウォーク

ここまでがマイケル・ジャクソンが1983年のモータウン25でムーンウォーク(バックスライド)を初披露する前におきた出来事です。

ジェフリー・ダニエルがマイケル・ジャクソンへバックスライドを教えた1980年からマイケルがムーンウォーク(バックスライド)を初披露した1983年まで期間があいているのは、マイケルの中で、ここぞという見せ場の機会を虎視眈々(こしたんたん)と狙っていた事が考えられます。

なぜならこの時点でマイケル・ジャクソンは、10年前の1973年に、当時ストリートダンサーの間で流行りつつあった「ロボットダンス」をジャクソン5の新曲「Dancing Machine」の間奏の部分で披露した事によって、ロボットダンスブームを巻き起こした事をすでに経験していたからです。

そして満を持して披露したモータウン25のムーンウォーク(バックスライド)は、マイケル・ジャクソンが特定の誰かから教わったものをそのまま再現したものではなく、ジェフリー・ダニエル、ブガルー・シュリンプとの接点をもとに彼らのバックスライドの表現から「表現の要素」を抽出し再構築する事によって、マイケルの解釈による、マイケルバージョンのバックスライド、つまり、自身のムーンウォーク(バックスライド)の表現コンセプトである「月の上を歩いているかのように後ろと前へ同時に歩いていくムーンウォーク」(※7)、すなわち「前に進んでいるようで後ろへ進んでいくバックスライド」を表現したものだった、というのが本解説の見解です。

※7:自伝「ムーンウォーク」でマイケル・ジャクソンは、1983年のムーンウォーク(バックスライド)初披露のために事前に考えていた事として、Billie Jeanの間奏の部分で月の上を歩いているかのようの後ろと前へ同時に歩いてみる事だったと語っている。

モータウン25のあと

ここからはマイケル・ジャクソンがモータウン25でムーンウォーク(バックスライド)を初披露したあとにおきた出来事について見ていきます。

ジャクソンズヴィクトリーツアー

モータウン25の翌年の1984年のジャクソンズヴィクトリーツアーは、マイケル・ジャクソンにとってジャクソン5以来所属してきたグループでの最後のツアーでした。

このジャクソンズヴィクトリーツアーでマイケル・ジャクソンは、ムーンウォーク(バックスライド)の表現をモータウン25よりも「歩幅を大きく取りながらバックスライドする表現」へと改良します。

そのおもな歩幅は、モータウン25で自分の足のサイズの0.5〜1倍であったのに対しジャクソンズヴィクトリーツアーでは1.3〜1.6倍でした(※8)。

マイケル・ジャクソンが「歩幅を大きく取りながらバックスライドする表現」を採用したおもな背景は、ブガルー・シュリンプのバックスライドに影響を受けたからです。

※8:詳しくは「ムーンウォークのやり方|マイケル・ジャクソンから学ぶ最適な歩幅」を参照。

ムーンウォークのやり方|マイケル・ジャクソンから学ぶ最適な歩幅
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ブガルー・シュリンプについて

ブガルー・シュリンプは、ロボットダンスの特徴である「制限された各部位の可動範囲」を解放し、カートゥーン・アニメーションの特徴である「パラパラ漫画を細かく滑らかに映し出した動き」を組み合わせる事によって表現される「流れるように動くロボット」の表現を創り出した「リキッドアニメーションスタイル」のオリジネーター(考案者)です。

1984年公開の映画「ブレイクダンス」(Breakin’)では、ほうきを使ったソロパフォーマンスシーンでバックスライドからサイドフロート(サイドウォーク)にかけてのフロアムーブ(バックスライド・コンビネーション)、そして同映画のオープニングシーンではサークルフロート(回転ムーンウォーク)を披露し、その独創的なダンススタイルと共に世界中のストリートダンサーから認められたレジェンドとして知られています。

マイケル・ジャクソンがムーンウォーク(バックスライド)を初披露したあとの1983年、ブガルー・シュリンプはライオネル・リッチー(Lionel Richie)のバックアップダンサーの仕事を通じてマイケルと出会います。

ブガルー・シュリンプにとってはこの時がマイケル・ジャクソンとの初対面だったのですが、マイケルにとってはあの時車窓で見かけて以来、内心ライバル心を燃やしていた自分よりも一回り年下の「子供」であったわけです。

そしてここでマイケル・ジャクソンからブガルー・シュリンプへ一緒に練習する事を提案します。

「一緒に練習」というと和やかにおこなわれるようなイメージを持ちますが、そのような生やさしいものではなく、この時の模様をブガルー・シュリンプは回想して「ほとんど格闘家同士のスパーリングのようなもの」とたとえているように、「お互いの持っている最高レベルのものを引き出し、相互でレベルを高め合う」という意味での「練習」でした。

これがきっかけとなり、1983年から1991年までマイケル・ジャクソンのソロパートのアドバイザー(パーソナルポッピングインストラクター)として、1984年のジャクソンズヴィクトリーツアー以降のBillie Jean終盤の間奏の部分におけるソロパートをはじめ、ムーンウォーク(バックスライド)を含む一連のパフォーマンスを完成度の高いレベルまで引き上げる仕事にたずさわる事となります。

このマイケル・ジャクソンとの「練習」を通して、ブガルー・シュリンプはマイケルへ「ブガルー・シュリンプバージョン」のバックスライドを教えます。

それが前述の「歩幅を大きく取りながらバックスライドする表現」に特徴のあるバックスライドです。

これ以降、マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)は「歩幅を大きく取りながらバックスライドする表現」を追求したムーンウォーク(バックスライド)へと改良を重ねながら進化していく事となります。

そしてソロとしてはじめてのワールドツアーのバッドツアー(1987年)を経て、2回目のワールドツアーのデンジャラスツアー(1992年)で披露した「歩幅を大きく取りながらバックスライドする表現」で、ムーンウォーク(バックスライド)の一つの完成形に到達する事となるのでした。

マイケルにとってのブガルー・シュリンプの存在

マイケル・ジャクソンとブガルー・シュリンプとの関係は、生前マイケルの口からは公の場で決して語られる事はありませんでした。

また、ジェフリー・ダニエルやポッピン・タコ(Pop N Taco)(※9)のように、コレオグラファーやパーソナルダンストレーナー(クリエイティブコンサルタント)として常に自身のまわりに置いておいたり、ショートフィルムに出演させる事もありませんでした。

なぜマイケル・ジャクソンは、ブガルー・シュリンプとある程度の距離を置いた関係を築いていたのでしょうか。

それはマイケル・ジャクソンにとってブガルー・シュリンプは、あの時車窓で見かけて以来、マイケルが密かに「本当の天才」と認めていたダンサーだったからです。

マイケル・ジャクソンは自身のまわりに置いてしまうと皆が「イエスマン」となってしまう事を知っていました。

それでマイケル・ジャクソンは、あえてブガルー・シュリンプとはある程度の距離を置いた関係で常に対等の立場として付き合い、一緒に練習する時には「天才同士のダンスのスパーリング」の交流ができるライバルの存在でいてほしかったのだと本解説では解釈しています。

※9:マイケル・ジャクソンが自身のアニメーションダンスの表現を確立していく過程においてブガルー・シュリンプと共に影響を受けたレジェンド。「ストップモーション・アニメーションスタイル」のオリジネーター(考案者)。1983年から1997年までマイケルのパーソナルダンストレーナー(クリエイティブコンサルタント)として、ポッピングとアニメーションスタイルの全てをマイケルに伝授した。マイケルの作品にはディズニーアトラクション体感型3D映画「キャプテンEO」(1986年)、映画「ムーンウォーカー」のSmooth Criminal(1988年)、ショートフィルム「ゴースト」(1996年)などに出演した。

「3人の子供たち」の意味とは

マイケル・ジャクソンの本心としては、「ムーンウォーク(バックスライド)を本当の意味で授けてくれたのはブガルー・シュリンプだった」と言いたかったのだと思います。

しかし、世界最高峰のショービジネスの世界の中で後世の歴史に残る事を念頭に仕事をしていたマイケル・ジャクソンにとって、自身のブランド価値を高めたムーンウォーク(バックスライド)のルーツの種明かしをする事はできませんでした。

そのためマイケル・ジャクソンは、ムーンウォーク(バックスライド)を「3人の子供たちから授かった」と語る事によって、「3人の天使のような子供たちがマイケルに素敵な贈り物を授けてくれた」という意味合いを込めて、どこかファンタスティック(幻想的)でアメージング(感動的)で、そしてミステリアス(神秘的)な演出とし、自身の代名詞となった「ムーンウォーク」に永遠の謎というマジックをかけたかのように語りたかったのではないかというのが本解説の解釈の結論です。

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次回について

私たちはいままでずっとマイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)をめぐる「勘違い」と「思い込み」の渦中にいて「ある事」に気づいていませんでした。

それは、マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)は「乗り越える事ができる」という事です。

現在でも多くの人がマイケル・ジャクソンを「ムーンウォーク(バックスライド)の神様」としてリスペクトし続けていると同時に、マイケルのムーンウォーク(バックスライド)を「誰も乗り越える事ができない」と考えています。

しかしながら、本来マイケル・ジャクソンを「ムーンウォーク(バックスライド)の神様」としてリスペクトする事と、マイケルのムーンウォーク(バックスライド)を「誰も乗り越える事ができない」と考える事は切り離して考えなければなりません。

なぜなら、マイケル・ジャクソンはムーンウォーク(バックスライド)のレジェンドではありますが、未来永劫、誰も乗り越える事のできないムーンウォーク(バックスライド)の神様ではないからです。

【第2回】マイケル・ジャクソンはムーンウォークの神様ではない理由

そこで次回は、マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)をめぐる「勘違い」と「思い込み」にスポットを当て、その真相について詳しく解説していきたいと思います。

マイケル・ジャクソンはムーンウォークの神様ではない理由
私たちはいままでずっと「勘違い」と「思い込み」の渦中にいて気づいていなかったのです。

それではまた次のコンテンツでお会いしましょう。

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KAIZOU NINGEN

ダンス研究家。専門はムーンウォークとアニメーションダンス。幼少期にマイケル・ジャクソンのメカニカルな動きを取り入れたダンスに影響を受け、1990年よりダンスの研究を始める。マイケル・ジャクソン没後10年特集番組へ情報提供(TBS「一番だけが知っている」:2019年)。

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