誰が本当の意味でマイケルにムーンウォークを教え、そして授けたのか

マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)を乗り越えるための考察を全5回にわたり解説していくシリーズの第1回目です。
マイケル・ジャクソンのムーンウォークを乗り越える方法
マイケル・ジャクソンのムーンウォークを乗り越えるための考察と方法を全5回シリーズで解説します。
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誰が本当の意味でマイケルにムーンウォークを教え、そして授けたのか

1988年に出版されたマイケル・ジャクソンの自伝「ムーンウォーク」(※1)でマイケルは、ムーンウォーク(バックスライド)を教えてくれたのは3人の子供たちで(※原文は「three kids」)、彼らから基本を授かったとしか語っておらず、誰からムーンウォーク(バックスライド)を教わったのかは明らかにしないままこの世を去りました。

マイケル・ジャクソンへムーンウォーク(バックスライド)を教えた人物が誰なのかについては諸説ありますが、マイケルが1983年のモータウン25(※2)でムーンウォーク(バックスライド)を初披露する前に、少なくとも3人のキッズ(kids:若者たち)と3人の子供たち(children)に出会っていることがわかっています。

当時マイケル・ジャクソンが構想していたことは、既存のバックスライドとは違う「新しい価値観」としての新しいバックスライドをクリエイトする(創り出す)ことでした。

自伝「ムーンウォーク」では、ムーンウォーク(バックスライド)を教えてくれたのは3人の子供たちで、彼らから基本を授かったと語ることによって、何の問題もなくさらりとやってのけたかのように演じているマイケル・ジャクソンですが、実際はムーンウォーク(バックスライド)をクリエイトしていく過程において「表現者」としての悩みと苦労がありました。

本解説では、3人のキッズ(kids:若者たち)と3人の子供たち(children)との出会いを通じてマイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)の表現の確立に貢献した人物のうち、マイケルが影響を受けた2人のレジェンドに着目しています。

その2人のレジェンドとは、ジェフリー・ダニエル(Jeffrey Daniel)とブガルー・シュリンプ(Boogaloo Shrimp)です。

そこで今回は、マイケル・ジャクソンがムーンウォーク(バックスライド)を初披露した1983年のモータウン25前後のおもな出来事を時系列で見ていくことによって、誰が本当の意味でマイケル・ジャクソンにムーンウォーク(バックスライド)を教え、誰が本当の意味でそれを授けたのかについて考察していきたいと思います。

※1:マイケル・ジャクソン著、田中康夫訳、河出書房新社、2009年。

※2:マイケル・ジャクソンがジャクソン5時代に所属していたレコードレーベル「モータウン」の設立25周年を記念して開催された音楽の祭典。そのハイライトは1983年5月16日に全米でTV放送された。祭典の正式名称は「Motown25: Yesterday, Today, Forever」(モータウン25:昨日、今日、そして永遠に)。

モータウン25の前

「ムーンウォーク」の名称で知られているバックスライドは、1970年代後期よりウエストコースト(西海岸)のストリートダンサーから広まっていったスタイルです。

エレクトリックブガルーズ(Electric Boogaloos)のクリーピン・シッド(Creepin Sid)(※3)が、1978年11月に音楽番組「Midnight Special」でバックスライドを披露したのが全米でTV放送されたはじめてのバックスライドでした(※4)。

※3:ストリートダンスの歴史において1978年に全米のTV放送ではじめてバックスライドを披露したレジェンド。代表的な表現には、前述のかかとからつま先にかけて後方へ交互にスライドしながら移動していく「バックスライド」や、バックスライドの逆バージョンとして、つま先からかかとにかけて前方へ交互にスライドしながら移動していく「フロントスライド」、左右の足を横方向へ交互にスライドしながら移動していく「サイドスライド」、そして自身のダンサーネームの由来となっている、その場にとどまりながらゆっくりとバックスライドしているようにみせる「クリーピング」がある。なお、エレクトリックブガルーズバージョンのバックスライドはメンバーのティッキン・ウィル(Tickin’ Will)が1975年に考案し、後年その動きを見て学んだクリーピン・シッドが「より滑らかで、より長い距離のバックスライド」の表現へと改良した。

※4:かかとからつま先にかけて後方へ交互にスライドしながら移動していくバックスライドの表現は、タップダンスの分野でビル・ベイリー(Bill Bailey)が1943年公開の映画「Cabin In The Sky」でバックスライドを披露しているのが一番古いとされている(※参照:YouTube)。

エレクトリックブガルーズ

エレクトリックブガルーズはブガルー・サム(Boogaloo Sam)(※5)によって1977年に結成され、ポッピング(Popping)(※6)とブガルー(Boogaloo)(※7)の2大ダンススタイルを世に送り出した、いまとなってはこれ以上説明の必要がないほどの伝説的ダンスクルーです(※8)。

1978年当時のエレクトリックブガルーズはまだ駆け出し中のダンスクルーでしたが、前述のTV出演をはじめ地道にキャリアを積み重ねていき、やがて本拠地のカリフォルニア州ロングビーチを中心とするウエストコースト(西海岸)のストリートダンサーの間で彼らの影響を受けたダンススタイルが広まっていきます。

※5:エレクトリックブガルーズのリーダー。曲のビートに反応してポーズを形成した直後に身体の各部位を同時に弾いて表現する「ポッピング」と、腰・ひざ・頭などの身体のあらゆる部分のロールを自在に使いこなすことによって流動的に表現する「ブガルー」を創り出したオリジネーター(考案者)。マイケル・ジャクソンの作品にはショートフィルム「ゴースト」に出演した。

※6:曲のビートに反応してポーズを形成した直後に身体の各部位を同時に弾いて表現するスタイル。エレクトリックブガルーズのブガルー・サムが1976年に創り出した。

※7:腰・ひざ・頭などの身体のあらゆる部分のロールを自在に使いこなすことによって流動的に表現するスタイル。エレクトリックブガルーズのブガルー・サムが1976年に創り出した。

※8:結成時の1977年は、エレクトリックブガルーロッカーズ(Electric Boogaloo Lockers)の名称でカリフォルニア州フレズノを本拠地としていたが、1978年にカリフォルニア州ロングビーチへ移転後「エレクトリックブガルーズ」へと改名した。

3人のキッズ

そしてこのエレクトリックブガルーズの影響を受け、彼らのダンススタイルを取り入れて表現するダンサーたちの中に3人のキッズ(kids:若者たち)がいました。

その3人のキッズとは、キャスパー・キャ二デイト(Geron “Caszper” Canidate)とクーリー・ジャクソン(Derek “Cooley” Jaxson)、そしてジェフリー・ダニエルです。

キャスパー・キャ二デイトとクーリー・ジャクソンはダンスクルー「The Eclipse」のメンバーで、当時全米で最先端のストリートダンスを発信していた音楽番組「ソウルトレイン」にエレクトリックブガルーズのダンススタイルの一つである「バックスライド」を早い時期に持ち込み披露したダンサーです。

1979年にマイケル・ジャクソンへバックスライドを教えたことをきっかけに、キャスパー・キャ二デイトは1987年公開のショートフィルム「Bad」では地下鉄構内のシーン、1988年公開の映画「ムーンウォーカー」のSmooth Criminalでは、身体を前傾する通称「ゼログラビティ」から回転ムーンウォークへ展開するシーンでマイケルの脇を固める4人のダンサーの一人として出演し、クーリー・ジャクソンは前述の映画「ムーンウォーカー」のSmooth Criminalの、身体を前傾する通称「ゼログラビティ」から回転ムーンウォークへ展開するシーンの4人のダンサーの一人として出演しています。

ジェフリー・ダニエルは1980年にマイケル・ジャクソンへバックスライドを教えたことをきっかけに、のちに1987年公開のショートフィルム「Bad」や1988年公開の映画「ムーンウォーカー」のSmooth Criminalのコレオグラファー兼ダンサーとしてマイケルの仕事にたずさわり、Badでは地下鉄構内のシーン、Smooth Criminalでは、キャスパー・キャ二デイトとクーリー・ジャクソンと共に身体を前傾する通称「ゼログラビティ」から回転ムーンウォークへ展開するシーンでマイケルの脇を固める4人のダンサーの一人として出演しています。

この3人はジェフリー・ダニエルが業界の「先輩」、The Eclipseの2人は年下の「後輩」という関係で、1977年にThe Eclipseが出場したダンスコンテストで出会います。

当時キャスパー・キャ二デイトは14歳でクーリー・ジャクソンは16歳でした。

20歳のジェフリー・ダニエルはその時すでにソウルトレインのバックアップダンサーのキャリアを通じて人気ダンサーとなっており、そのダンスコンテストの審査員をしていました。

The Eclipse

ソウルトレインの番組内には「ソウルトレインライン」という人気コーナーがありました。

このコーナーは数十人のダンサーが男性と女性の左右に分かれて両サイドにラインを作り、中央のスペースを使って10秒程度で次々とダンサーが入れ替わりながらダンスを披露していく形式となっていました。

ダンサーにとっては10秒という短い時間であっても、全米のTV放送で自分の表現にスポットライトが当たる絶好の場であり、様々な趣向をこらしたプレゼンテーションの中には時折新しいダンススタイルやムーブを見ることができました。

1979年、The Eclipseのキャスパー・キャ二デイトとクーリー・ジャクソンはこのソウルトレインの番組内の人気コーナーだった「ソウルトレインライン」でバックスライドを披露します。

一方、自身もジャクソン5の頃からソウルトレインに出演していたマイケル・ジャクソンはこの番組をよく見ており、The Eclipseがバックスライドを披露した「10秒間」を見逃していませんでした。

The Eclipseのバックスライドを見てすぐに興味を示したマイケル・ジャクソンは、関係者を通じてメンバーのキャスパー・キャニデイトへ連絡を取り、1979年にキャスパー・キャニデイトから2回の短期レッスンを受けます。

何かを感じ取りたかったマイケル

この2回の短期レッスンでキャスパー・キャニデイトとクーリー・ジャクソンはマイケル・ジャクソンにバックスライドのやり方を教えました。

しかしマイケル・ジャクソンはこのレッスンを通じて「何か」を感じ取りたいと思っていたのですがその「何か」を感じ取ることができず、一種のもどかしさを感じていたようです。

クーリー・ジャクソンはそのレッスンの時のことを回想して、マイケル・ジャクソンは「僕はそれを感じることができない。」と何度も言い続けていたと語っています。

そしてキャスパー・キャニデイトとクーリー・ジャクソンがマイケル・ジャクソンへ「感じるって何をでしょう?あなたは(私たちが教えたように)やるだけですよ。」と話しかけると、マイケルは「いや、いや、君たちは理解していない。僕は感じることができないんだ。」と話していたとクーリー・ジャクソンは語っています。

マイケルが求めていたこと

当時まだティーンエイジャーだったキャスパー・キャニデイト(16歳)とクーリー・ジャクソン(18歳)は、マイケル・ジャクソン(21歳)の話していたこの「感じることができない」の意味をマイケルの立場になって考え、理解し、そしてマイケルへその答えを導き出してあげることができませんでした。

つまり2人はエレクトリックブガルーズのバックスライドから影響を受けたバックスライドのしくみの知識とやり方を教える技術は持っていましたが、マイケル・ジャクソンが求めていた「あるもの」を持っていなかったのです。

その「あるもの」とは、バックスライドの「表現コンセプト」の理解です。

「表現コンセプト」とは、たとえばバックスライドとマイケル・ジャクソンの「ムーンウォーク」の違いが、前者が「足元に限定した表現」であるのに対し、後者が足元だけではなく身体全体を一つの「表現」としているところに違いがあるように、「表現そのものを決定づける骨格となる思想」のことです。

マイケル・ジャクソンがその時求めていたこととは、かかとからつま先にかけて後方へ交互にスライドしながら移動していくバックスライドのしくみの知識とやり方の技術をレッスン通りに完全コピーして完全再現することではなく、バックスライドの表現コンセプトを理解した上で、そのバックスライドの表現からインスピレーションを受けたマイケルの解釈によるマイケルバージョンの、前に進んでいるようで後ろへ進んでいくバックスライドとして「感じる」ことでした。

このことについてクーリー・ジャクソンは、マイケル・ジャクソンがそのレッスンの時に話していた「感じることができない」、つまりマイケルが「感じたいと考えていたこと」を理解できたのは、後にマイケルが1983年のモータウン25でムーンウォーク(バックスライド)を初披露した時だったと回想しています。

ジェフリー・ダニエル

マイケル・ジャクソンがバックスライドの短期レッスンを受けたあとの1979年、ジェフリー・ダニエルは、キャスパー・キャ二デイトとクーリー・ジャクソンと共にダンスユニット「Jeffrey Daniel & The Eclipse」を結成し、ソウルトレインでバックスライドを披露します(※参照:YouTube)。

この時もマイケル・ジャクソンはジェフリー・ダニエルたちがバックスライドを披露したソウルトレインの放送を見ていました。

ジェフリー・ダニエルがソウルトレインで披露したバックスライドに刺激を受けたマイケル・ジャクソンは、関係者を通じてジェフリー・ダニエルを探します。

やがてジェフリー・ダニエルが所属していたシャラマー(Shalamar)がディズニーランドでショーをおこなっていることを突き止めると、マイケル・ジャクソン自らジェフリー・ダニエルの元を訪れ彼と直接コンタクトを取ります。

これがきっかけとなり、1980年にジェフリー・ダニエルはキャスパー・キャ二デイトたちと共にマイケル・ジャクソンへバックスライドを教えることとなります。

ジェフリー・ダニエルが23歳、マイケル・ジャクソンが22歳の時でした。

ジェフリー・ダニエルの功績

ジェフリー・ダニエルがマイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)の表現の確立に貢献した一番の功績は、当時マイケルがバックスライドに対して抱いていた「感じることができない」の意味をマイケルの立場になって考え、理解し、そしてマイケルへその答えを導き出してあげることができたことです。

そのマイケル・ジャクソンがバックスライドに対して抱いていた「感じることができない」の意味とは、バックスライドの表現コンセプトを理解した上で、そのバックスライドの表現からインスピレーションを受けたマイケルの解釈によるマイケルバージョンの、前に進んでいるようで後ろへ進んでいくバックスライドとして「感じる」ことができない、ということでした。

これに対しジェフリー・ダニエルは、ストリートダンサーではなく「表現者」としてバックスライドの表現コンセプトを理解した上で自身の表現にバックスライドを取り入れて表現していました。

そのためジェフリー・ダニエルは、マイケル・ジャクソンが求めていた答えの一つである「バックスライドの表現コンセプト」をマイケルに的確に教え、マイケルがバックスライドに対して抱いていた「感じることができない」に対して解決へ向けての一歩を導いてあげることができたのです。

そのバックスライドの表現コンセプトについて、ジェフリー・ダニエルは次のように語っています。

“バックスライドは(動く歩道のように自動的に床が後方へ移動していく)エスカレーターの上で(人が)前に進んで歩いているような表現で、(人がそのエスカレーターの上で)前に進んで歩き続けている時に(常に床が後方へ移動し続けているためその人を)連れ戻すような表現です。”

この功績が、マイケル・ジャクソンへ本当の意味でムーンウォーク(バックスライド)を教えた人物がジェフリー・ダニエルであると本解説が解釈している理由です。

3人の子供たち

時を同じくして、ある日車で移動していたマイケル・ジャクソンは、ふと車窓から外を眺めた時に、3人のストリートダンサーの子供たち(children)がバックスライドしている光景を見かけます。

マイケル・ジャクソンは明らかにしていませんが、この「3人の子供たち」の中には13歳のブガルー・シュリンプがいました。

3人の子供たちのバックスライドに何かを感じ取り、車を停めてしばらくじっと観察していたマイケル・ジャクソンは、そのバックスライドを脳裏に焼きつけ、帰宅するとすぐに一人ムーンウォーク(バックスライド)の練習に没頭します。

そしてこの日がマイケル・ジャクソンにとって、マイケルがずっと追い求めていた、前に進んでいるようで後ろへ進んでいくバックスライドをはじめて「感じる」ことができた、記憶に残る特別な日となりました。

モータウン25のムーンウォーク

ここまでがマイケル・ジャクソンが1983年のモータウン25でムーンウォーク(バックスライド)を初披露する前におきたおもな出来事です。

マイケル・ジャクソンが3人のキッズ(Kids:若者たち)と3人の子供たち(Children)に出会った時からマイケルがムーンウォーク(バックスライド)を初披露した1983年まで数年の期間があいているのは、10年前の1973年に、当時ストリートダンサーの間で流行りつつあった「ロボットダンス」をジャクソン5の新曲「Dancing Machine」の間奏部分で披露したことによって全米でロボットダンスブームを巻き起こした経験から、ここぞという見せ場でムーンウォーク(バックスライド)を披露することによって次のブームを巻き起こす機会を虎視眈々(こしたんたん)と狙っていたことが考えられます。

このムーンウォーク(バックスライド)初披露までの期間にマイケル・ジャクソンが構想していたことは、既存のバックスライドとは違う「新しい価値観」としての新しいバックスライドをクリエイトすることでした。

この新しいバックスライドをクリエイトするにあたりマイケル・ジャクソンがイメージしていた表現コンセプトは、自伝「ムーンウォーク」で語っているように、月の上を歩いているかのように後ろと前へ同時に歩いてみることです(※9)。

つまりマイケル・ジャクソンがやりたかったことは、既存のバックスライドとは違う「新しい価値観」としての、月の上を歩いているかのように後ろと前へ同時に歩いていくマイケルバージョンのバックスライド、すなわち「前に進んでいるようで後ろへ進んでいくバックスライド」を表現コンセプトとする、マイケルの解釈によるマイケルバージョンの新しいバックスライドを表現することでした。

そしてモータウン25で満を持して披露した、マイケル・ジャクソンの解釈によるマイケルバージョンの新しいバックスライドは「ムーンウォーク」として発表され、それはマイケルの狙いどおり全米でムーンウォークブームを巻き起こすこととなります。

※9:自伝「ムーンウォーク」でマイケル・ジャクソンは、1983年のムーンウォーク(バックスライド)初披露のために事前に考えていたこととして、Billie Jeanの間奏部分で月の上を歩いているかのようの後ろと前へ同時に歩いてみることだったと語っている。

モータウン25のあと

ここからはマイケル・ジャクソンがモータウン25でムーンウォーク(バックスライド)を初披露したあとのおもな出来事について見ていきます。

ヴィクトリーツアー

モータウン25の翌年の1984年のジャクソンズヴィクトリーツアーは、マイケル・ジャクソンにとってジャクソン5以来所属してきたグループでの最後のツアーでした。

このジャクソンズヴィクトリーツアーでマイケル・ジャクソンは、ムーンウォーク(バックスライド)の表現をモータウン25よりも「歩幅を大きく取りながらバックスライドする表現」へと改良します。

そのおもな歩幅は、モータウン25で自分の足のサイズの0.5〜1倍であったのに対しジャクソンズヴィクトリーツアーでは1.3〜1.6倍でした(※10)。

マイケル・ジャクソンが「歩幅を大きく取りながらバックスライドする表現」を採用したおもな背景は、ブガルー・シュリンプのバックスライドに影響を受けたからです。

※10:詳しくは「ムーンウォークのやり方|マイケル・ジャクソンから学ぶ最適な歩幅」を参照。

ブガルー・シュリンプ

ブガルー・シュリンプは、「可動範囲の制限を解放したロボットの動き」の要素と、カートゥーンアニメーションの「パラパラ漫画を細かく滑らかに映し出した動き」の要素を組み合わせることによって表現される「流れるように動くロボット」を創り出した「リキッドアニメーションスタイル」のオリジネーター(考案者)です。

映画「ブレイクダンス」

1984年公開の映画「ブレイクダンス」(Breakin’)では、ほうきを使ったソロパフォーマンスシーンでバックスライドからサイドフロート(サイドウォーク)にかけてのフロアムーブ(バックスライド・コンビネーション)、そして同映画のオープニングシーンではサークルフロート(回転ムーンウォーク)を披露し、その独創的なダンススタイルと共に世界中のストリートダンサーから認められたレジェンドとして知られています。

ブガルー・シュリンプの功績

ブガルー・シュリンプがマイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)の表現の確立に貢献した一番の功績は、モータウン25で披露したムーンウォーク(バックスライド)よりも、より完成度の高いレベルまで引き上げてあげることができたことです。

マイケル・ジャクソンがムーンウォーク(バックスライド)を初披露したあとの1983年、ブガルー・シュリンプはライオネル・リッチー(Lionel Richie)のバックアップダンサーの仕事を通じてマイケルと出会います。

ブガルー・シュリンプが16歳、マイケル・ジャクソンが25歳の時でした。

ブガルー・シュリンプにとってはこの時がマイケル・ジャクソンとの初対面だったのですが、マイケルにとってはあの時車窓で見かけて以来、内心ライバル心を燃やしていた自分よりも一回り年下の「子供」であったわけです。

そしてここでマイケル・ジャクソンからブガルー・シュリンプへ一緒に練習することを提案します。

「一緒に練習」というと和やかにおこなわれるようなイメージを持ちますが、そのような生やさしいものではなく、この時の模様をブガルー・シュリンプは回想して「ほとんど格闘家同士のスパーリングのようなもの」とたとえているように、「お互いの持っている最高レベルのものを引き出し、相互でレベルを高め合う」という意味での「練習」でした。

これがきっかけとなり、1983年から1991年までマイケル・ジャクソンのソロパートのアドバイザー(パーソナルポッピングインストラクター)として、1984年のジャクソンズヴィクトリーツアー以降のBillie Jean終盤の間奏部分のダンスパートをはじめ、ムーンウォーク(バックスライド)を含む一連のパフォーマンスを完成度の高いレベルまで引き上げる仕事にたずさわることとなります。

このマイケル・ジャクソンとの「練習」を通して、ブガルー・シュリンプはマイケルへ「ブガルー・シュリンプバージョン」のバックスライドを教えます。

それが前述の「歩幅を大きく取りながらバックスライドする表現」に特徴のあるバックスライドです。

これ以降、マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)は「歩幅を大きく取りながらバックスライドする表現」を追求したムーンウォーク(バックスライド)へと改良を重ねながら進化していくこととなります。

そしてソロとしてはじめてのワールドツアーのバッドツアー(1987年)を経て、2回目のワールドツアーのデンジャラスツアー(1992年)で披露した「歩幅を大きく取りながらバックスライドする表現」で、ムーンウォーク(バックスライド)の一つの完成形に到達することとなるのでした。

この功績が、マイケル・ジャクソンへ本当の意味でムーンウォーク(バックスライド)を授けた人物がブガルー・シュリンプであると本解説が解釈している理由です。

マイケルにとってのブガルー・シュリンプの存在

マイケル・ジャクソンとブガルー・シュリンプとの関係は、生前マイケルの口からは公の場で決して語られることはありませんでした。

また、マイケル・ジャクソンはブガルー・シュリンプを自身のショートフィルムに起用することもありませんでした。

たとえば映画「ムーンウォーカー」のSmooth Criminalでマイケル・ジャクソンがもっとも見せたかったシーンである、身体を前傾する通称「ゼログラビティ」のシーンを見るとわかるように、マイケルの脇を固める4人のダンサーのうちの3人が、マイケルのムーンウォーク(バックスライド)の確立に貢献したキャスパー・キャ二デイト(画面右前)、クーリー・ジャクソン(画面右奥)、ジェフリー・ダニエル(画面左奥)で構成しているという文脈から考えると、画面左前のポッピン・タコ(Pop N Taco)(※11)の位置にブガルー・シュリンプを起用してもよかったのではないかと思います。

それではなぜマイケル・ジャクソンはブガルー・シュリンプとある程度の距離を置いた関係を築いていたのでしょうか。

それはマイケル・ジャクソンにとってブガルー・シュリンプは、あの時車窓で見かけて以来、マイケルが密かに「本当の天才」と認めていたダンサーだったからです。

ショートフィルムに起用しなかったのも、マイケル・ジャクソンとの共演の場でマイケルが認めたもう一人の天才が、マイケル以上の凄みのあるパフォーマンスをされてしまうと主役のマイケルの輝きが半減してしまうからであり、かと言ってブガルー・シュリンプにマイケルよりもクオリティーを下げたパフォーマンスをしてまで出演してもらいたくなかったからです。

それでマイケル・ジャクソンは、あえてブガルー・シュリンプとはある程度の距離を置いた関係で常に対等の立場として付き合い、一緒に練習する時には「天才同士のダンスのスパーリング」の交流ができるライバルの存在でいてほしかったのだと本解説では解釈しています。

※11:マイケル・ジャクソンが自身の「アニメーションダンス」の表現を確立していく過程においてブガルー・シュリンプと共に影響を受けたレジェンド。「ストップモーションアニメーションスタイル」、「アニマトロニクススタイル」のオリジネーター。1983年から1997年までマイケルのパーソナルダンストレーナー(クリエイティブコンサルタント)として、ポッピングとアニメーションスタイルのすべてをマイケルに伝授した。また、マイケルの作品にはディズニーアトラクション体感型3D映画「キャプテンEO」(1986年)、映画「ムーンウォーカー」のSmooth Criminal(1988年)、ショートフィルム「ゴースト」(1996年)などに出演した。

「3人の子供たち」の意味とは

世界最高峰のショービジネスの世界で後世の歴史に残ることを念頭に仕事をしていたマイケル・ジャクソンにとって、自身のブランド価値を高めたムーンウォーク(バックスライド)のルーツの種明かしをすることはできませんでした。

そのためマイケル・ジャクソンは3人のキッズ(kids:若者たち)と3人の子供たち(children)との出会いをベースに、ムーンウォーク(バックスライド)を「3人の天使のような子供たちがマイケルに素敵な贈り物を授けてくれた」という意味合いの物語(フィクション)として語ることによって、どこかファンタスティック(幻想的)でアメージング(感動的)で、そしてミステリアス(神秘的)な演出とし、自身の代名詞となった「ムーンウォーク」のルーツに永遠の謎というマジックをかけたかのように語りたかったのではないか、というのが本解説の解釈の結論です。

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次回について

私たちはいままでずっとマイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)をめぐる「勘違い」と「思い込み」の渦中にいて「あること」に気づいていませんでした。

それは、マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)は「乗り越えることができる」ということです。

現在でも多くの人がマイケル・ジャクソンを「ムーンウォーク(バックスライド)の神様」としてリスペクトし続けていると同時に、マイケルのムーンウォーク(バックスライド)を「誰も乗り越えることができない」と考えています。

しかしながら、本来マイケル・ジャクソンを「ムーンウォーク(バックスライド)の神様」としてリスペクトすることと、マイケルのムーンウォーク(バックスライド)を「誰も乗り越えることができない」と考えることは切り離して考えなければなりません。

なぜならマイケル・ジャクソンはムーンウォーク(バックスライド)のレジェンドではありますが、未来永劫、誰も乗り越えることのできないムーンウォーク(バックスライド)の神様ではないからです。

第2回|「勘違い」と「思い込み」

そこで次回は、マイケル・ジャクソンのムーンウォーク(バックスライド)をめぐる「勘違い」と「思い込み」にスポットを当て、その真相について詳しく解説していきたいと思います。

マイケル・ジャクソンはムーンウォークの神様ではない理由
私たちはいままでずっと「勘違い」と「思い込み」の渦中にいて気づいていなかったのです。

それではまた次のコンテンツでお会いしましょう。

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KAIZOU NINGEN

ダンス研究家。専門はムーンウォークとアニメーションダンス。幼少期にマイケル・ジャクソンのメカニカルな動きを取り入れたダンスに影響を受け、1990年よりダンスの研究をはじめる。マイケル・ジャクソン没後10年特集番組へ情報提供(※TBS「一番だけが知っている」:2019年)。

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